だから火を通して
なぜここまで明るいのかと問いたくなるほどの、白いライト。無機質な廊下がどこかすっきりとしないのは、壁、床、天井と、あちこちに描かれている、象形文字のような数式のような模様のせい。その長い廊下の突き当りは、同じような模様の刻まれた鉄格子で遮られた小部屋。その牢は複数ではなく、たった一つ。
「うわ、ダンビラドグマの部下さんじゃねぇですか」
心底嫌そうな顔でそう言ったのは、やせ細り腹だけがぽっこりと出た女性です。灰褐色に消え入りそうな赤と青の細い筋が入り混じった髪は長く、ぎょろりとした瞳は腐ったルビーのような暗い紅色をしていました。目の下には、色素沈着を起こしているかのような隈。腋の下など、グレーの囚人服の色がところどころ濃くなっているのは、換気が効いておらず異様に蒸し暑いこの場所のせい。
「こんなひどい、ひどすぎるところに閉じ込められた私を見に来るだなんて、悪趣味すぎるんじゃねぇですか? ダンビラドグマの部下さんさんさん」
彼女の首には、壁から伸びた太いケーブルの繋がった、鉄格子と同じような模様の刻まれた分厚い金属製の、継ぎ目のない首輪がかけられています。首輪の中央には、小さな緑色の灯り。それがゆっくりと点滅しており、まるで彼女の鼓動のように見えました。
「メルゴドラン、どこで聞いたんですか? そのあだ名」
鉄格子をはさみ問いかけた来訪者は、オールバックにした暗めの金髪で、オレンジの瞳をもつ無精髭を伸ばした男です。彼の名は、バルドライゼロ。牢の中の女性はメルゴドランといいます。
「私に頼み事しにきた人から聞いたんですよ。君のとこにダンビラドグマの部下が来てねぇかって。なかなか物騒な二つ名つけられてるじゃねぇですか、おたくの隊長さん」
メルゴドランはバルドライゼロの、細いイエローストライプの入った濃いグレーのスーツを羨ましそうに見ながら言いました。
「うわ、それあきらかな牽制じゃないですか。どこの部隊の人です?」
「守秘義務があるので言えねぇです」
「はぁ」
バルドライゼロはポリポリと頭をかいてから「まぁ、いいですけど」とポケットから、手の中に収まるくらいの、透明度の低いタッパを取り出し、鉄格子の間からポンと投げ入れます。メルゴドランはそれをうまく受け取れず、タッパは硬く冷たい床にコツンとぶつかりました。
「なんですかこれ」
「差し入れですよ。好物を食べれないのは辛いかなぁと。ほんの少しですけどね」
「もしかしてビンチアカラですか! すげぇ少ねぇけど気が利くじゃねぇですか! すげぇ少ねぇですけど! ああ…………」
嬉しそうな顔でタッパを開けたメルゴドランは、すぐにがっかりとした顔になります。中に入っていたのはビンチアカラなどではなく、にじむような汁気を帯びた、ペールオレンジをベースに青紫色と黄色が薄く入り混じった色をしたものだったのです。
「マニアックなホルモンって感じですよねそれ。ま、俺はそういうの苦手なんで食える気しないですが、メルゴドランさんは、たしかお好きですよね」
簡単にまとめるならば、変な色の内臓っぽいなにか。やや溶けかけているような状態なので、どこの部位かまではわかりませんが、そのとぅるりとした質感の物体は明らかに、生物の一部として機能していたであろうものでした。
「は? これあきらかにヤバい色してますよね? 普通じゃねぇですよねこれ?」
「まぁ、元の持ち主は魔導士ですし、もの的に、色の変質なんて珍しくないですよ。ささ、どうぞどうぞ。ただでさえ日が経ってるんだから、早く食べないと」
「え? まさか生でいけと? マジマジで? 火くらい通してくださいよ!」
だめです、とバルドライゼロは即答。
「ちゃんと見返りを用意しますから」
「もしかして、釈放してくれるんですか!」
「ははは。そんなわけないじゃないですか。でも、ちゃんと確定手続きしてあげますよ。メルゴドランさんの身柄は国家ではなく魔導士協会預かりとする、とね」
「あーそれめちゃくちゃ助かる…………」
「でしょう? メルゴドランさんみたいな重罪人にこれほどの大サービスは、例外中の例外ですから。ささ。食べて食べて」
ため息をつき、メルゴドランはぬめりがあるようなないような生物の一部……らしきものをつまみあげ、目を瞑り一息に飲み込もうとして――――やめ、タッパに戻します。
「やっぱ生はやめねーですか? 私の経験的にこういう、なんか、補色みたいな感じで色入っちゃってる時ってだいたいよくねぇんですよ」
「おおっと! なにしてるんですか」
バルドライゼロはポケットからカードを取り出して鉄格子扉の魔導式ロックを解除し、急いで中へと駆け込みます。伸ばした右手では、がっしりとメルゴドランの左手首を掴んで。
「まったく……醤油なんて、どこに隠してたんですか?」
その手の中にあるのは黒っぽい液体の入った、小さなプラスチックのボトル。
「ポン酢なんですが」
「一緒です。調味料かけて変な影響出たらどうするんですか。ささ、早く早く。俺も次の予定があるんで、長居できないんですよ。あ、まさかさっき言ってた守秘義務って、ポン酢と交換で結ばされたんですか?」
ポン酢を取り上げられたメルゴドランは、その質問に答えることはなく。眉間にシワをがっつりよせ全力で不快感を表現してから、タッパをひっくり返すようにして一気にそれを飲み込みました。
「どうです?」
「…………」
「あー、もしかして味わってますか?」
「…………」
「意外と美味しかったとか。いや、今の食べ方的に、味よりも喉越しかな?」
「ぅげ!」
あれこれと尋ねていたバルドライゼロの目の前で、唐突に、メルゴドランは床に手を付き激しく嘔吐してしまいました。エルルルと太く流れ落ちたのは少し前に与えられた昼食。床に手をついたせいで、首輪に繋がるケーブルがビンと張り詰めてしまいます。排出されるはずの中身は、首輪のせいでせき止められ、メルゴドランは何度も体を持ち上げる羽目になってしまいました。
「大丈夫ですか!」
「うげっ……うぇえっあ! あっ! あ……げぇっ!」
尋常ではない苦しみ方。吐瀉物にはすでに赤色が混じり始めています。前のめり――体を持ち上げる――前のめり――体を持ち上げる――そんな動作を繰り返したせいで、床は広く汚れてしまいました。手の甲や膝の上には、しっかりと質量を感じられるほどの量が……。
「はぁっ、うえっ……これ…………なんかしこまれてやがるです……」
「毒性の術式ですか? おかしいな、厳重にチェックしたはずなんですけど」
「はぁはぁ……はぁ……腐ると術式化するやつじゃねぇですか? うわ、臭っ。もしかしてこれ、におい消しの術かけてました? そんなんするなら火通してくれたっていいじゃねぇですか。ああきもちわる、うがいしたい」
吐血までしたのにも関わらず、メルゴドランはそう大事ではないかのように、軽くクレームをつけます。
「腐ると術式化……ああ、なるほど! 腐性術式ですね。いやぁ、その線は見落としてた」
「うわ、それ絶対、あえて検査しなかったパターンじゃねぇですか。私に食べさせるために! 囚人だからって人権無視ですか!」
「邪推しない邪推しない」
なだめるように、バルドライゼロはメルゴドランの頭を撫でます。
「かすでしむんけんじてっらかだんじうゅし !にめたるせさべたにしたわ。かすでぇねゃじんーたぱたっかなしさんけてえあいたっぜれそ、わう」
「ん、今は日本語脳なんですねメルゴドランさんは。やっぱ捕まえてよかったなぁ、あんたみたいな人に日本で活動されたら困りものですよ」
「――――がう、るわちもきああ――――」
突然、意味をなさない言葉を羅列しだしたメルゴドランをバルドライゼロはじっと見つめます。そして、しばらくすると、耳触りの悪い嗚咽音とともに、さっき床にぶちまけられたものが戻っていきました。メルゴドランの口の中へと。
「ぐむぅ!」
「はいはい。吐かない吐かない。しっかり耐えてくださいね」
「ぐんぐうううう! うんぐぅ!」
床が、まるで何事もなかったかのように綺麗になったタイミングで、後頭部と口を押さえられたメルゴドラン。バルドライゼロはどれだけ抵抗されても、何度殴られてもその手を離しません。
「まだ吐きそうですか?」
「んんぐぐううう!」
「まだ吐きそうですか?」
「んんん! んんん! ん!」
メルゴドランは必死に首を横に振ります。強い力で押さえられているせいで、大きくは振れませんでしたが……。
「ぶあ! はぁはぁはぁ」
「はい、おつかれさまです」
手を離したバルドライゼロは、後頭部を押さえていた方の手でハンカチを取り出すとメルゴドランの口を拭おうとします。
「この、悪魔デビルめ!」
「おおっと」
はたき落とされたハンカチを拾い上げ、今度は自身の手を拭います。
「人間のやることじゃねぇですよ! あたま治外法権なんですか!」
「まぁ、いいじゃないですか」
「よくねぇです! 逆再生でゲロ戻されるくらいなら普通に食べたほうがマシですよ!」
「もどしたものを戻す、なんちゃって」
「今までの人生で聞いた中で一番ムカつくギャグ!」
「で、なんか情報拾えそうですか? 消化しちゃう前にちゃんとやってくださいよ」
始終軽い調子で話すバルドライゼロを、絡むように睨みつけたメルゴドランはため息をついてから自らの胃のあたりに両手を添えます。そして人には、何を言っているか判別できないくらいの小さな声でぼしょぼしょとつぶやいたかと思うと、手のひらからフワンと、銀色の魔法陣が発生したのです。
「あんな欠片食べたくらいじゃ、大して拾えねぇですよ?」
「まぁ、頼みます」
「はぁ」
みぞおちを中心に――――体に押し付けられるようにしてゆっくりと回転している魔法陣。メルゴドランは精神をそこに集中させるべく、腐ったルビーのような目を閉じます。魔法陣は大きくなったり小さくなったり……でっぱった腹にぶつかる部分はまるで、魔法陣が鋭利な刃物となり腹部に入り込んでしまっているかのようです。
「うーん…………イル? イル……ナ?……要るな、かな? 居るな、かな? まぁ、そのへんの言葉が拾えるっちゃ拾えるですが、なんか音がループしちゃってよくわかんねぇです。イルナイルナイルナって」
「続けて」
「いや、続けるもなにもこれが限界ですって。いろいろ知りたいなら、もうちょっと状態がいいの持ってきてくださいよ。量も少ないし……って、もうこんなひどいの食べたくねぇですけど」
両手を体から離すと同時、ふわと消えていく魔法陣。
「他の検査に回す予定のものだったので。これだけ持ち出すのでも大変だったんですよ」
「知らねぇですよそんなことっ……あたたた……やっぱ嫌な感じの術式仕込まれてますってこれ。いてて……お腹いた…………だから火で清めたほうがいいって言ったのに」
「そんな小さな欠片からくる死後式の影響なんて、たかが知れてますよ。それに、生で食べないと情報が劣化しちゃうじゃないですか」
「うう……訴えてやる。がっつり訴えてやる」
「裁判やりたいなら、身柄、国家預かりにします? あんたなら、情状酌量の余地もなく一発で極刑にしてもらえると思いますけど」
「うう、それは嫌だ……まだ死にたくねぇーです」
「なら大人しく協力してください。ほら、胃薬もあげますから。でも、あんなもの食べた後に市販薬なんて効くのかな」
「死ね、死ね死ね死ねこの悪魔デーモンめ、悪魔デビルめ、デビル悪魔め」
ポケットからとりだした胃薬を手渡すバルドライゼロを、メルゴドランは心底嫌そうな顔で見ながら、言葉と頭の中の両方で何度も何度も、呪いの言葉を吐きます。首輪の灯りは、まるでその気持ちに応えるかのように、パカパカ、パカ……パカと、不規則な点滅を繰り返していました。
「じゃあ、またよろしくおねがいしますねメルゴドランさん」
「死ね、ゲロにまみれて死ね、二度と私の前に現れないように死ね、ゲロの思い出だけを抱えて死ね、死んで食われてゲロになれ、死んで脳みそすすられてゲロに生まれ変わって死ね」
メルゴドランは犬のように床に手をつき、突き上げるように睨みます。バルドライゼロは――――牢の扉を閉めて――――――――口の右側を持ち上げて笑うと背を向け、中途半端に持ち上げた右手を二度三度振って去っていきました。
だから火を通して おわり
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