汗の如し
…………。
…………。
…………。
「あはは! さすがジムナーちゃんやで! いかついなぁ!」
…………。
…………。
…………。
…………。
「ジムジムアバアバジムジムアバアバ♪ はい ギュムギュム♪ はい ギュムギュム♪ 前進後退ギュムナルクス♪」
…………。
…………。
…………。
「終わってまった……。はぁ…………また来週の水曜までジムナーちゃんに会えんのか…………ネット配信してくれやええのに。しっかし、デフォルメされとってもジムナーカスはかわええなあ。人間が動物になる時とは大違いや」
…………。
…………。
……………………――――。
「なんや、ようやく起きたんか。ジムナーちゃん終わってまったやんけ、おまえにも主題歌聞かせたろ思っとったのに」
男は目を覚ました瞬間に、自身がさらわれたことに気がつきました。
「おい、起きたんならなんか言えやボケ。挨拶は大切やろがい」
さらわれた男は、反社会組織の幹部。親がトップという理由で幹部になった彼は、人望も実力もなかったため、隙だらけの生活をしていたのです。
「なぁ、おい。なぁ、おいて。はよ、俺を誰だと思ってるんだとか言えや! そういう腐れたセリフ吐くんが、おまえみたいな輩の仕事だがや。おら、さっさと喋れやボケカス!」
いくつかの方言が混ざったような口調で、黙ったままの男にまくしたてるのは魔導師の女。さらわれた男は、目隠しのせいでその姿を見ることができません。動かせるのは首から上だけ。体が縛り付けられた硬い椅子は床に固定されているようで、力を入れても動く気配がありませんでした。
「おい。いい加減喋らせんと、いろいろ切り落とすぞ阿呆」
「お……俺たちをなめるなよ」
男は、ようやく口を開きます。
「なんやそれ、いまいちやんけ。全グレなら、もう少しまともな啖呵きれや」
「俺たちは……明治から続く老舗中の老舗――」
「はは、老舗! 老舗やて! そんなセリフ生で聞けるとは思わんかったわ! 映画みたいやんけ!」
老舗という言葉がお気に召したのか、魔導師は手を叩いて笑いました。
「笑ってんじゃねぇぞ女ぁ! いいか、うちの組織に手ぇ出したらこの業界じゃ――」
男は、笑われたことに気を悪くしたのか、怒鳴り始めます。
「はは、女ぁ! やて。ようこの時代にそんな古臭い煽りするわ。かっこええとでも思っとんのか」
「なめてんじゃねぇぞこらぁ!」
「うるさいやつやなぁ。こちとら魔女狩り時代からの老舗やぞ。おまえらなんて赤ちゃんや、口の聞き方にきいつけんかいや」
「魔女狩り……? まさかてめぇ、魔導士かっあっつっ!」
いきなり、脛を蹴飛ばされた男は悶えます。目隠しの下でギュムッと目をつむり。
「おい、今おまえ、魔導士言うたやろ。私はな、魔導士やのうて魔導師やカスが。ま、私はそないなことにこだわっとらんやけんどな、おまえみたいなんに間違われると、心底ムカつくんやで」
士と師の違い。魔導師は男が「魔導士」と発言したことを、確信していたわけではありません。ただ、なんとなくそう思ったから蹴飛ばしたのです。
「なにが目的だ……」
「オークションあるやろ」
「知らん」
「この状況で、そないな口聞くんやな」
魔導師が手を男の口元へと近づけると、フワンと生暖かい光が発生します。
「んうっ!」
その熱に、男は驚き顔をそむけました。
「じっとしとけや、鬱陶しい」
「な、なにしてやがる……いっ! うっ! やめろっ! やめろっ!」
「騒ぐなや、ただの口内炎やがな」
「な……なんだそれは」
「なんや、口内炎知らんのかい。天文学的な阿呆やな」
「知っとるわ……いたっ……そんな魔法、あるのかよ」
唇の裏に嫌な痛み。それは大きな口内炎が完成したことを意味していました。
「屁を放り出させる魔術があるくらいなんやから、口内炎作る魔術くらいあってもおかしくないやろがい」
ずくんずくん、疼きが増えていくのは、口の中にひとつ、またひとつと口内炎が増えているから。
「もう一度聞くわな。オークションあるやろ、ヤクザオークション」
「し、知らん」
「そうか、明治から続く老舗組織さんなら知っとる思ったんやけどなぁ」
「うっ!」
「あははは! なにビビっとるんや、頭さわっただけやがな! しかし…………おまえ、汗かきすぎやないか?」
身をすくめた男は言われてはじめて、びっしょりと汗をかいていたことに気がつきます。
「あ、汗……ううっ!」
唇が歯に擦れるだけでひどい痛み。男の口内炎はもう五つに増えていました。上唇左側に二、右側に二、そして下唇左側に一。口が乾いているせいで、痛みが余計に増幅されるのです。
「どうや、この寒くて寒くて仕方ない部屋が、くっそ暑く感じるやろ」
「……な、なにをした」
できるだけ口を動かさないよう、小さな声で。
「教えたろか? その汗と一緒にな、おまえの思い出が流れ出とるねん。ちょころっと、ちょころっと、ちょころっとなぁ。だもんでよ、お前はいずれ空っぽになる。阿呆になるで? 言葉も歩き方も、親の顔も、生まれてから覚えたこと全部流れ出てくからな」
「あ、ある! ううっ」
「なにがあるんや」
魔導師はニヤニヤと男を見ています。
「オークションだ、俺達だけが、裏社会の人間だけが入れる――――」
口の痛みを気にする余裕もなく、男は必死に説明を始めます。
「だからなにがや」
音もなくふわりと浮いて、魔導師の手元に飛んできたのはガラス製の分厚い灰皿。
「だから、裏社会の人間だけのオークショぐあっ!」
「裏社会の人間? ならなんで私は入れんのや! おお? どういうことやねん! 私はバリバリ裏の人間やぞ! 魔導士やのうて、魔導師やからなぁ! なぁ! それとも魔導師は人ではないとでも言うつもりか!」
「がはっ! ぐあっ! ああっ!」
魔導師は、何度も何度も男を殴ります。硬く重たい灰皿で。
「あはは、やっぱおまえみたいなやつは、こーいうごっつい灰皿が似合うんやなぁ」
「うう……」
ボトボトと垂れる血。ボスンと鳴ったのは、適当に放り投げられ、中身の詰まったゴミ袋の上に落ちた灰皿の音。
「もういっぺん、ちゃんと説明せいや」
「……一部の……一部の人間だけが利用できるオークションがある」
「それで?」
「俺達は……そこに……入れる」
「それで?」
「これで、全部だ…………」
「上出来や。余計なこと言いよったら、今度はゴルフのやつで殴ったろう思っとったけどな、ええで。許したるわ」
「あっつ!」
魔導師は近くにあった机の上のコーヒーを少し飲み、男にバシャリとかけたのです。
「なんやねんそのリアクション。普通すぎるわ」
「はぁ、はぁ……はぁ」
「それでな、頼みがあんねん」
「頼み……」
「せや。オークションに、甘美なる融解っちゅう魔導書が出たらな、落としてほしいねん。なにが、なんでもや」
「かんびなる……」
「せや。その魔導書だけでいい。代わりに、CC6っちゅうレアで最高な快楽術式を流したる。気持ちのゆるい魔導士探して売れば、儲かるで?」
CC6と聞いた男は驚いたように顔を持ち上げます。目隠しでなにも見えないにも関わらず。
「CC6…………」
「なんや知っとるんかいな。日本でも出回っとるんか」
「人気の貴重品です…………あ? まさか、あんたが」
「せやで、あれの出どころは私や。せやから、死ぬほど安く流したるわ。おまえ専用のバーゲンセールやで」
「そうですか」
男は突然ニヤリと笑います。口内炎の痛みを感じていないかのように。
「なんやおまえ、めちゃくちゃええ顔するやんけ。殴られすぎて頭開き直ったか」
「力つける……チャンスじゃないですか」
「いきなり敬語になって気持ち悪いなぁ。でも、おまえが今描いた絵は金賞もんや。これからの時代を生き抜くには、歴史も金に置き換えてかなあかん」
しゅるり。血に濡れた目隠しはとられ、男の目は魔導師を捉えます。身長百七十センチ以上はある、灰褐色に消え入りそうな赤と青の細い筋が入り混じったショートボブの髪と、腐ったルビーのような瞳を持つ女性を。
「必要なのは金……それに、信頼できる上司ですね」
「よう普通に喋れるなおまえ。口内炎、十個くらいになっとるやろ」
「はい、口も頭も痛いですよ。でも、ここで引いたら、男じゃない、ですから」
「おまえ、頭悪いんやろな。まぁええわ、契約成立。ご褒美に定期的に届けるようにしたるわな」
魔導師が指差した先にあったのは、蓋の裏からぽつりぽつりと赤い液体が落ちている細いガラス瓶です。台座は金属製でドラゴンが施されており、その目は赤く発光していました。
「これは……」
「もう忘れたんかいな? お前の汗、記憶や。知らんのかい、カバの血は赤いんやで」
「この液体が俺の記憶……?」
「せや。溜まったやつを飲めば記憶は戻る。心配すんなや、自分で認識できるレベルの欠落になる前に、届けたるがな」
「これが俺の、首輪ってわけですか」
「なんや、頭悪いくせに、そこまで読んどったんかいな」
「すんません。あんたが俺を潰さないように殴っとるのが、なんとなくわかりましたので」
男の目には少年のような輝きがあります。
「ほう、思ったより使えそうやなおまえ。ええ顔しとる」
「どうも。ああ、タバコ吸わせてもらってええですか?」
「なめんなや!」
「んああうっ!」
頬を叩かれた男は悶絶します。口内炎の数々が発する痛みに。
「なに口調まで合わせとんねん! 殺したろかやおまえ!」
「すんません……」
「もう寝とけやおまえ」
「は――――」
いつの間にか魔導師の手にはあの灰皿、三つに割れたのは男の頭を強く殴ったためか――――――――。
「ミュライダ、なにやってるんですか。夕飯準備できま……ってあっつ! この部屋何度あるんです?」
男が気絶した直後、鍵もかかっていない扉をあけ入室してきたのは白いスーツの女性です。
「なんや、ブレクナムか。くっそ汗かくやろこの部屋。さっさと冷房にしてくれや」
「わかりました……うわっ、また人さらってきてる……生きてるんですかその人?」
「生きとるに決まっとるやろが。今から治療して元の場所に運ばせるんや」
「ならいいんですが……お、これなんです? かっこいいですね」
白いスーツの女性、ブレクナムは机の上の細長いガラス瓶を見つけます。
「はぁ? かっこええかそれ?」
「ええ」
キラキラした目で見つめているのは、台座のドラゴン。その赤く光る瞳に、ブレクナムは完全に目を奪われていました。
「そない気に入ったんなら、やるわそれ」
「え? いいんですか? でもこれ、名のある魔導具なんじゃ? なんにもないとこから血出てますし。え? いいんですか?」
血といったのは、蓋の裏からポタポタと垂れる赤い液体のこと。蓋より上に液体を溜めておけるような構造はなく、どこからかチューブがつながっているようにも見えません。本当にただの蓋。そこから唐突に、何の脈絡もなく、垂れ続けているのです。
「そんなんただの手品グッズやで。魔術なんてなんもつかっとらせんがな」
「ありがとうございます! 日本には、私のコレクションを持ってこれなかったんで寂しくて……ってミュライダ、あなたがすんなり物をくれるだなんて、なにか裏があるんじゃ……」
「ないで。動けんやつ殴ったで、気分いいだけや」
魔導師ミュライダは本当に気分よさそうな顔で、そう言ったのです。
「そうですか。しかしこれ、本当にかっこいいですね。うわ! 目の色変わった! 台座触ると反応する系ですか?」
「そういや、こいつの発汗機能いじっとかなあかんのか……めんどくさ」
興奮するブレクナムを無視して、ミュライダがぼやきます。
「うわ! 今度は緑になった! おお、血の色まで変わってるじゃないですか!」
「…………」
「今度はピンク! 最高ですねこれ!」
「おい、阿呆」
「はい」
ドラゴンに夢中になっていたブレクナムは、阿呆と呼ばれたにもかかわらず笑顔で振り返ります。
「CC6な、とりあえず五十回分くらいこいつに回したれ。出どころ隠しながら渡すには、おまえがぴったりや」
「出どころ隠し……ああ、記憶封印するんですね」
「あたりまえやがな。こんな悪党に正体明かしたら、リスクばかりやで」
「よかった、安心しましたよ」
「なんやねんそれ」
ブレクナムはニコニコ。こんなに機嫌よくいられるのはどれくらいぶりかと、本人ですら思うほどに。
「それで、私はこの男とどういう付き合いをしたらいいんですか?」
「マフィアお抱えの魔導師として接触せいや。嘘んこ魔術で脅しとるからな。マフィアはどこの国のがええか……まぁ、リアリティありそうなん選んでやっとけや」
「えっと、私のレパートリーの中だと……」
「ごちゃごちゃ考えるんは一人でやれや鬱陶しい!」
なぜか機嫌を損ねたミュライダは、その苛立ちをぶつけるかのように、動かなくなった男の脛を再び蹴飛ばします。
「それ、本当に生きてます?」
「生きとるゆうたやろ!」
「そんなこと言って、これから生き返らせようと思ってるんでしょう」
「阿呆かおまえは、死者蘇生なんてできたら、あの世の完全肯定やんけ阿呆!」
「あ、今二回もアホって言いましたね! まったく、ただの冗談じゃないですか。生きてることくらいわかりますよ」
「なんやねんおまえ」
相当強く蹴ったはずなのに、男は目覚めるどころか反応すらしなかったのです。
汗の如し おわり
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