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ビールを飲めよ、お医者サマー

 最近、よく悪夢を見ると言っていましたが、それはごく最近のことですか?

「はい。以前は、今ほど見ていません」

 特に印象に残っている夢は。

「玄関を開けて、バラバラの体から逃げようとする夢です。でも、視点は上から、俯瞰で見ているような感じでした。でも、逃げていたのは確かに私です」

 その夢はどう終わったか、覚えていますか。

「玄関から逃げ出したところで、目が覚めました」

 その他、なにかその夢に関してありますか。

「二度寝、をしてしまったんです。夢を見てすぐに。悪夢で疲れていたので。そうしたらバラバラの部位はテレビ番組となっていました」

 テレビ?

「はい。最初は、上から見ているけど、私が体験したこと。二回目は完全にただの怖いテレビ番組です」

 なるほど。

「だから、恐怖は残りましたが、恐怖だけになったので、あとは克服するだけだと思います」

 克服はできましたか?

「それは慣れだと思います」

 診察室でかわされた会話の大半は、医師からの質問に患者が答えるという形で行なわれたもの。医師の名はユラルクラル、ラベンダーのような色の髪と瞳を持つ魔導士です。彼女は、この微妙に噛み合わぬ会話を淡々とこなしていました。

「それで、私は、クッション現象のせいなのでしょうか」
「あなたも魔導士なので、ないとは言えませんが、今お話しいただいた悪夢には関係ないと思いますよ」
「そんな、苦しいんです、毎日、毎日、多いときは何本も何本も悪夢を見て」
「意図的に悪夢を見ようとしたことは?」
「…………」
「あるんですね」
「でも、そのままにするより、よい夢に変わってくれたほうがいいと、もう一回寝なおして、だって怖い夢のままでは」

 患者からは、一所懸命に声を荒らげないようにしている雰囲気が伝わります。

「つまりあなたは、夢を見て目覚めた後、続きを見ようとしてまた眠る。そういうことをやっていたわけですね」
「はい」
「まずそれ、やめましょうか。睡眠状態が悪くなる可能性があるのであまりよくないかと」

 ユラルクラルが机の上のカルテをめくったのは、過去の記録を見るため。その間、患者は無言です。

「心音、聴きましょうか? 乱れているといけませんし」

 聴診器のチェストピースをもちあげて尋ねましたが、患者は首を横に振り断ります。

「ちゃんとアルコールで消毒もしますが……」

 今度は「結構です!」と大きな声で拒絶。ユラルクラルはそうですか、と聴診器を下げます。

「すいません……」
「大丈夫ですよ」
「先生、私はどうしたら」
「そうですね。私はそちらは専門外ですから、いい心療内科を紹介しましょう。一般の病院ですが――」
「いやです」

 説明が終わる前に拒絶されても、ユラルクラルには特に困った様子もなく。

「なぜですか?」

 と、理由を問います。

「私は魔導士です」
「大丈夫ですよ。そこは魔導士の受け入れもしています」
「でも、この髪色だって、目の色だって、先生も同じだから、わかってくれますよね?」

 訴える患者の髪や瞳は、作り物かのような色をしていました。色合いは違うものの、非現実的な色であるのはユラルクラルも同じで。

「大丈夫ですよ。見た目に魔力による変質が現れていても、区別するような先生ではありませんから」
「私、魔力量が少ないんです。こんな派手に変質しているのに、こんな派手な色をしてるのに……。だから」
「恥ずかしがる必要はありません。たしかに、広くは知られてはいませんが、高魔力でもないのに変質が起きたというケースも……ああ、そんなに気になるならば、擬態魔法を使ってはどうでしょう。もしお望みなら、その旨、紹介状に添えさせていただきますが」
「嫌です。髪も染めたくありませんし、カラーコンタクトも使いません」
「なら、擬態魔法を。もし使えないのであれば、できる者を紹介しま――――」

 ガンとなったのは、患者がユラルクラルとの間にある机を蹴飛ばした音。座ったまま、つま先で。

「少し、落ち着くことはできますか?」
「だって! どうして魔導士がいつもいつも遠慮を――――すいません、わかっているんです」

 うつむいた顔は、自己嫌悪に満ちていました。

「いいですよ。気持ちはわかります。では、こうしましょう。あなたを邪教討伐隊に推薦します」
「討伐……隊?」

 その言葉の持つ物々しい雰囲気に、患者は一度下に向けた顔をあげます。

「存在はご存知ですね」
「ええ。でも」
「あなたみたいな立場の方には馴染みないかもしれませんが、あの組織であればクッション現象で暴力不感となっても、しっかり管理してくれますから――――」
「いえ、そんなわけでは」
「邪教組合は、知ってますか? 最近はコロンビアのほうで、彼らとの戦いが激化していると聞きますから人手はほしいと思いますよ」

 どんどんと進んでいく話に、患者は戸惑った顔。

「知ってます? 邪教組合」

 ユラルクラルは再び尋ねます。

「そ、存在は」
「存在だけではないですよね」

 患者は、少し強く聞き返してきたユラルクラルに、冷や汗をかいて目をそらしました。元から、合わせていなかった目を下へと。

「……」
「すみません、誘導尋問みたいなことをして。あなたが邪教組合から、ある快楽術式けらくじゅつしきを輸入したことはわかっているんです。教えてください、それはCC6しーしーしっくすと呼ばれる術式ですね」
「…………」
「大丈夫です。私は医者です。治す者であり、咎める者ではありません」 

 患者はコクンと首を縦に振ります。それを見たユラルクラルは静かに、机の下に隠されたボタンを押しました。

「なんだおまえら! 離せ! 離せ!」

 ボタンを押してすぐ診察室にかけこんできた三人に、無理やり椅子から引き剥がされた患者は大暴れ。その手足はすぐに、自ら絡みつく光る縄で拘束されます。

「先生! あれは、あれは魔力酔いがひどくて使ってしまっただけで! あれは! だから! だから! 離せ! 離せぇ! 離すように、この人達に離すように言ってください! 言えってば! おい! おい!」
「安心してください。これは、治療のための束縛ですから」

 引きずられるように診察室より連れ出された患者の声は、扉の向こうからずいぶんと長い間聞こえ続けました。ユラルクラルに向けた、罵詈雑言が。

 

 

 

 それからしばらくして、ユラルクラルは立ち上がり自身の背面にあった窓をあけます。まず、その内側にある鉄格子を開けてから――――窓を開けたのは、胸ポケットから取り出した煙草を吸うため。

「あっ、だめですよ先生」
「なんだ、君ですか」

 火をつけようとしたタイミングで診察室に入ってきたのは、まだ若い看護師の青年。顔だけ見れば少年のようにも見える彼は、薄紫色のリボンで綴じられた書類を大事そうに抱えています。その顔をじっと見つめたユラルクラルでしたが、青年が再び煙草はダメだとジェスチャーで示したため、残念そうな顔で諦めます。

「またCC6しーしーろくですか」
ChangeChanceCrazyChampionChargeCongratulation。この六つが二度繰り返されるほどの快楽があると、誰とはなしに呼ばれた術式。まったく困ったものですね。私は医者で、捜査とは関係ない立場のはずなのですが」
「しかし、先生は優秀ですから。ほら、CC6しーしーろくによる凶暴化は暴力不感とは違うと発表したのも先生ですし」

 書類は音を立てず、丁寧に机の上へ。

「それは、観察すればすぐ分かる話ですから。それで抓蜜つねみつ、それはなんの書類ですか? 今日はもう働きたくないのですが」
「大丈夫です。これは、先生に頼まれていた濡れ雨傘事件関連の報道をまとめたものですから、今すぐ見なくても。それにしても、どうしたんです? 急にこんな事件について調べだして」
CC6しーしーしっくすと、その事件で使われた術式に共通点を見つけましてね」
「え!」

 大声を出してしまった青年、抓蜜は恥ずかしそうに顔を赤らめます。

「でも先生、濡れ雨傘は文字通り傘に書いた円形まるがたの魔法陣、CC6しーしーしっくすは経口摂取……ですよね? そもそもの形式がぜんぜん違うと思うんですが。あっ、どちらもちょっとした社会問題になった、という意味での共通点ですか?」
「違いますよ。そもそもCC6は社会問題になるほどは日本に来ていません。まぁ、いずれなるでしょうけど」
「気が早かったですね。となると共通点は……えっと」
「傘は勢いよく開く、CC6は飲み込んだ後に腹を強く叩く。どちらも物理的な刺激がトリガーとなる術式なんです。さっきの患者も腹に痣があるのでしょうね」

 ユラルクラルは両手を組み、自身の腹をトン、トンと叩いてみせます。

「でも、物理的な刺激がトリガーとなる術式はよくありますよね。たとえば地雷術式なんかは……」
「双方を分析した結果、発動時の波長に魔力ゲルに似た特性が見つかったんですよ。もちろん、両方から」
「魔力ゲルって……あの魔力ゲルですか?」

 魔力ゲルは、大怪我や手術の際に減少してしまった魔力を一時的に補うなど、魔導医療の現場ではよく使われるもの。それは、看護師である抓蜜もよく知っていました。

「ええ、あの魔力ゲルです。あれを、一度に、大量に使った際に起きる、ウェパルこうと呼ばれる発光現象がありまして。その時の光の波長に、よく似た波長を持っていたんです。ごく一部だけの一致なんですけどね」
「魔力ゲルが光るなんて、見たことも聞いたこともないですが。大量って、相当な量ですか?」
「相当な量です。人に使えば、記憶などにも影響が出る危険すらある、相当な量」
「それは、相当危険ですね」
「ええ。しかも、常に光っているとうわけでもありませんから。相当大きな実験に携わるなどがなければ、見ることはないでしょうね」
「それは、相当綺麗ですか?」
「いいえ、あまり。珍しいからといって、相当綺麗だなんてことはないですよ」

 そうですか、と抓蜜は残念そうに笑います。

「さて、抓蜜。この共通点から見えることはなんですか?」
「えっと……」
「正解は、どちらも似たような現場で生まれた可能性がある。要するに、出どころが同じという可能性もあるということです。まだ、仮説ですけどね。まったく、また嫌なことに気がついてしまいましたね。また、討伐隊の会議に出席しなければなりません」
「さすが先生ですね。あっ、だめですって」
「気づいた者には、ご褒美が必要です」

 ユラルクラルは抓蜜に向けて軽く微笑み、煙草に火をつけ窓の外へ上半身を乗り出しました。外は雪、冷たい空気の中、煙とともに吸い込んだ熱により唇の先が暖められます。

「暑いですね、今日は」
「そうですね、先生。あっ、冷たい飲み物でももってきましょうか?」
「いえ、今日は本当に暑いですし、ビールでも飲みに行きませんか?」
「あっ、いいですね!」
「では着替えて駐車場で待ち合わせですね。運転は……抓蜜に頼んでもいいですか。飲酒運転になってしまうので、あなたは飲めなくなりますが、美味しい料理のあるところにでも行きましょう」

 ユラルクラルの提案を聞き、抓蜜は嬉しそうな顔で「急いで着替えてきます」と診察室を出ようとしました。

「ああ、ちょっと待ってください」
「なんでしょう?」
「大事なことを忘れていました。あの患者には、アルコール消毒をしないようにと伝えてください」
「アレルギーでもあるのですか?」
「いいえ。CC6がアルコールと喧嘩しやすいせいか、たまに、過剰な嫌悪を示すケースがあって。これは精神的なものですが、患者の苦痛は少ないほうがよいですから。最近わかったことなので、まだ、浸透していないんですよ。なので面倒でも、術式による消毒を」
「そうでしたか」
「伝言頼めますか、抓蜜」
「はい、先生」

 抓蜜は浅くお辞儀をして、診察室を出ていきました。外の雪は、勢いと大きさを増しユラルクラルの視界でノイズのように遊びます。冷たい、とても冷たい空気――――聡明な医師の体の上をダラリ、タラリと汗が流れてゆきました。

 

 

ビールを飲めよ、お医者サマー おわり
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