恋の懲罰
ここは魔導士専用のカフェ、それもごく一部の魔導士のためだけに作られたカフェです。ニスがしっかり染み込んだ色の濃い木材で作られた丸テーブルと椅子、天井で回る金色のプロペラに、グレーの磁器タイルの床。統一感に欠ける店内に流れるのは、イギー・ポップ。
「うぁーやばい」
カフェのある場所はとある施設四階の一角。スペースに隣接する白い壁に、窓はありません。
「あーやばい。やばいなぁミュナちゃんは」
キッチンから一番遠い席、独り言をこぼしながらスマートフォンで漫画を読んでいる魔導士の名はリリリラトラ。セミロング、茜色のソバージュヘアはまだ作りたて。彼女は、今このカフェで同僚を待っているのです。
「ごめんねリリリラトラ、だいぶ待ったでしょ?」
「あー、いいよいいよ。ちょうど読み終わったところだから」
二十分ほどして現れた同僚の名は、ラーフーローン。カフェの中はガランとしており、人間は彼女ら二人だけ。カフェのスタッフは、外から見えないように作られたキッチンの中でしょうか。
「なにも注文してないの?」
ラーフーローンが椅子を引き、座りながら聞きます。事務仕事を終えてきたばかりの彼女はスーツ。対するリリリラトラは、抑えめな雰囲気のワンピースにウツボのような、そうでないような……体と鼻が長い魚の刺繍が入ったスカジャンを着ています。足元を固めるショッキングピンクのスニーカーには、イエローの平紐。
「ここ、呼ぶまでオーダー取りに来ないから好きなんだよね。店内にトイレがないのは嫌だけど」
「私は聞きに来てくれる方が好きだけどね。って、あんた好きだねその漫画。たしか電子版と紙両方買ってるんだっけ」
「そうそう! 聞いてくれる? 今回もミュナちゃんがめちゃくちゃかわいくてさ」
ミュナちゃんというのは、今しがたリリリラトラが読んでいた漫画のヒロインのこと。最新刊で見せたその魅力を、熱く熱く、熱弁します。
「――――でね、彼氏とミュナちゃんがドライブしてた時に、突然、彼氏の友達が合流することになったんだけど」
「うん」
「待ち合わせ場所についたら、ミュナちゃんがさっと助手席から降りて、久しぶりに会ったんだからゆっくり話したいでしょって言いながら後部座席に座るの」
「うわ、計算高くてウザいねその子。むしろ友達気を使うでしょそれ」
「え、そういうご感想? 私的にはこんな彼女欲しいなぁって感じなんだけど」
二人は注文をしないまま、話を続けていきます。
「こんな彼女欲しいって……あんた、天然で超可愛いとか言ってた彼女はどうしたの。駅前だかでナンパしたとかいう」
「ふられた。電話もメールも反応ないしSNSもブロックされてるから完全にアウトだと思う」
「は? 余裕で仲直りできるって言ってたじゃん」
「仲直りはしたし、いいとこまで行ったんだよ? すっぴんはじめて見たし」
ラーフーローンは、興味なさげに「ふぅん」とだけ。
「でもでも、殴られちゃったんだよー! リリリラトラちゃんはすっぴん見た五秒後に殴られてしまったのですよー! なにもしてないのに!」
「なにもしてないと思ってるのはあんただけで、なんか余計なこと言ったんでしょ。どうせ、これは名台詞だと思って言ったんだろうけど……ほら、なんて言って怒られたか正直に言いなさい」
「あんまり可愛くなくて安心するって言った」
「すっぴん見て?」
「うん。でもまさかそんなことで怒るだなんて思わないじゃん? 安心するって言ってんのにさ! 母性くすぐられてよって話だよ! っていうかさー、可愛さ求められてないほうが楽じゃない? すっぴんなんだからさ!」
「気でも狂ってるの? あんた、よくそれで恋愛できるね。まぁ、私はそのくらいのことで怒ったりはしないけどさ、普通の子は怒るんじゃないかな」
でも新しい彼女できたし……と、リリリラトラは言い返します。
「新しい彼女って、いくらなんでも早すぎるでしょ……。仲直りするとかなんだとか言ってたの先週だよ? ほんと、あんたって付き合うのだけはうまいよね。で、今度はどうやって口説いたわけ?」
「今回は前回の失敗を踏まえてですね、魔導書庫勤務って設定にしましたのでね、おバカなあの子は賢い私にメロメロってわけですよ。言葉の裏の裏には深い深い意味があると感じさせる、大人びた関係ですよ」
「でも嘘じゃん? マジで最低だよあんた」
「そうやって冷笑はさみこむの嫌い!」
ラーフーローンの苦言を、そっぽを向いて受け取り拒否。そのタイミングで切り替わった店のBGMはベートーヴェンの第九です。唐突なクラシックですが、ここまでもロック、演歌、ボサノバ…………と、ジャンルがころころ変わってきたので、特に気になることではありません。
「冷笑なんてしてないでしょ。っていうかあんた冷笑の意味わかってる?」
「…………」
「で、うまくいってるの? その、新しい彼女さんと。嘘までついて作ったんだから、さぞ可愛いんでしょうねぇ」
「…………」
「どうせ嘘がバレたんでしょ。あんたに魔導書庫勤務を演じられるとは思えないし」
「うわ、バカのくせにインテリぶるからって顔してる」
「そりゃそうでしょ。あんたはうちの隊の中でもトップクラスの脳筋なんだから。通しきれない嘘つくくらいなら、最初から邪教討伐隊所属だって言えばいいじゃん。その時点で、Bランク以上の魔導士であることは保証されるんだから」
と、メニュー表を眺めながら。
「いやさ、討伐隊人気ないじゃん? やっぱ殺し殺されたりする仕事ってのは嫌がるだろうなぁーって」
「うちの隊で死者でることなんてないじゃん。相手殺すような任務もないし」
「でもさぁイメージってものがあるじゃん……あ! っていうかあー! あー!」
「うるさいなぁ。他にお客さんいないからって大声出しすぎ」
「いや、ちょっと聞いて! 聞いてほしいんだけど!」
リリリラトラは落ち着く様子がありません。
「はいはい、わかった、わかったから。で、なに?」
「二日前さ、ヴィルゼラさんのところと長尾山で演習あったでしょ?」
「あー私がいけなかったやつね。参加したかったなぁ、あの人の指導は質が高くて勉強になるし」
「ちょっと私の話聞いてよ!」
「どうせその新しい彼女が、そこにいたんでしょ。すごい偶然ですねぇ」
リリリラトラは驚いた顔で固まってから、大声で叫びます。「なんでわかるの!」と。
「ここまでの話、全部それ言うための前フリだったでしょ。嘘々しくて聞いてられなかったよ。あんた、聞いて欲しい話ある時、妙に演技がかるしさ。他の人から見たら普通に話しているように見えるだろうけど、私には通じないよ」
「ええ……そこまでわかってんの? ちょっと気持ち悪いなぁそれ」
「こっちは数え切れないほどあんたの恋愛話を聞かされてるからね、わからないほうがおかしいでしょ。全く、何年の付き合いだと思ってんの」
「魔導学院からだから……うん、今度計算しとく。それでね、演習終わった後二人きりになったんだけど、もう大喧嘩になっちゃって! まだ頭痛するんだか――いてっ……ねぇ、頭痛が痛いって言ってるのに頭小突くのひどくない?」
ラーフーローンにメニュー表でコツンと叩かれたリリリラトラは、わざとらしく頭を押さえてみせます。
「まさかあんた、魔法の撃ち合いしてないでしょうね。懲罰対象だよ」
「いや……してないよ。うん。っていうかさぁ! ひどくない? あいつ魔導病院で事務やってますぅとか言ってたくせに、バリバリのスナイパーなんだよ! 髪色も暗くして、顔までグリーンに塗っちゃってさ、葉っぱの中入ると全然見えないの! 整列したときの姿勢もめちゃくちゃいいし、声も一番でかいしさぁ! ハートマン軍曹も認めちゃう勢いだよ! 恋のハントしたつもりが死のハントだよ!」
「そんなこと言われても……ほら、もう終わった話なら気持ち切り替えていこ? うだうだ言ってると、カミソリウィッチの名が泣くよ?」
「泣いてもいいよ別に! 二つ名なんてどうでもいいし! 私のほうが泣くし!」
「あ……、いやちょっと私も言い過ぎたかな? いや、ほら、あんたのためを思って。ほら、ほら! なんか飲む? おごるから――」
怒りすぎたせいか、涙まで浮かべているリリリラトラを慰めようとしたラーフーローンでしたが……。
「あ、メールきた」
「あっそ、それはよござんしたね」
その気遣いを遮るように、リリリラトラのポケットからスマートフォンが取り出されます。その浮かれたような表情から、今話に出ていたスナイパーな彼女からのメールであることは、容易に想像がつきました。
「ひひ……ひひひ」
「気持ち悪い顔で笑わないの。せっかく綺麗な顔してるんだから。で、お姫様はなんて?」
「会いたいってさ! いひひー!」
リリリラトラは満面の……やや、品のない笑み。
「まさかあんた」
「まぁ、私は大人ですから、揉め事は話し合いで解決して当然といいますか」
「へいへい、お似合いのカップルですこと」
ラーフーローンはちょっと引き気味で、再びメニュー表を手に取ります。自分の顔と、リリリラトラを遮るように。
「あ、ちょっとまって。このメール、添付ファイルついてる。は? PDF? うえ、パスワードかかってるじゃん。なにこれ」
「どうせ二人の記念日とかがパスワードなんでしょ」
「え? マジそれ? そんなことなくない? いくらなんでもそれはベタすぎでしょ」
と、とりあえず言われたままに付き合い始めた日を入力してみます。
「お」
パスワードは見事解除。
「なんて書いてあったの?」
「いひひひ、アイシテルだってさ」
と、さっきよりも品のない顔で。
「わざわざPDFで送ることかねそれ。で、あんたはなんて返すつもりなの?」
「とりあえず会って話そう、かな」
「え、大丈夫なのそれ? 流れ的に、あんたも愛してるって返さないといけないんじゃないの?」
ラーフーローンは本気で心配そうに言いました。
「駆け引きってのはね、そういうものなのですよ。ここでアイシテルって返したらね、今はよくても、後々思い返した時に、あいつ、主体性がなくて頼りない女だなぁ……と思われちゃうものなんですよ」
リリリラトラはドヤ顔で語ると、宣言通り「とりあえず会って話そう」と打ち込み、おまけにウインクしている絵文字を三つ並べて返信します。
「どうなっても知らないよ……」
「大丈夫大丈夫」
「なにが大丈夫なんだか」
その時ブーと鳴ったのは、リリリラトラのスマートフォンのバイブ音。
「ほらほらほらね、すぐ来ましたよ返信が! さすが恋の魔術士リリリラトラさんの天才的駆け引きですねぇ!」
勝ち誇るようにスマートフォンをテーブルに置き、二人で見られる状態でメールを開きます。
「ん? このメールは、心を込めて声に出して読んでほしい……だってさ! ひひひ可愛いねぇ。ええっと、なになに? ん? なんだこれ、何語?」
「なに? 見せて」
「うん、これよく読めないんだけど」
「ああ、これただのローマ字だよ。元の言葉は日本語。ほら、呪文の発音の授業であったでしょ」
「ああ、あったね。カタカナにしてくれればいいのに……ええと、なになに……っとぉ!」
リリリラトラは、冒頭に書かれていたとおりメールの内容を声に出して少し読み上げ――――ようとして、一言も発せずにやめます。
「どうしたの?」
「これガチの魔術だよ! 最後まで読み上げたらお腹パンパンにはって痛くなるガチ呪いの魔術だって! ほら、ちょっと前に流行って問題になったやつ!」
「ああ、ガルドラボークを元にアレンジしたんじゃないかとか言われてたやつね。ごめんね、気づかなかったわ」
「恋人にこんなの送ってくるだなんてひどくない! ローマ字なんかで書かれたら意味もわからず読んじゃうよ! 私は気づいたけどさぁ! これ、懲罰対象だよね! こんな悪質なことしたら懲罰不可避だよねぇ! 信頼第一の討伐隊で、こんな嘘つきみたいな行為ゆるされないよ!」
「うーん、ジャッジに困る。っていうか、それだけの長文をすぐに返してくるって、元々準備してたんじゃないの? こういうこと言いたくないんだけど、そういう子とつきあうと――」
「あーもう。話通じる子とつきあいたいよ……。すいませーん注文お願いしまーす!」
ラーフーローンのアドバイスなど耳に入らないといった顔で、スマートフォンを乱暴にテーブルに置いたリリリラトラは気分を変えようと、大きな声で呼びます。
「ねぇ、話通じる相手がいいんだったら……」
「なに? いい子紹介してくれるの? でもラーフーローンの知り合いってほぼ討伐隊のメンバーじゃない? 嫌だなぁそれ……っていうか、店員さん来ないじゃん。すいませーーーーーーーん! 注文お願いしまぁーーーーーーーーす!」
「やめなって、忙しいんだよ」
「そんなわけないって。他に客いないんだし。すいませーーーーーーーーん!」
「ちょっと……」
八つ当たりするように大声を出すリリリラトラに、ラーフーローンはタジタジです。
「すいまっせーーーーーー! 聞こえてますかぁーーーーーーー!」
「ちょっと、やめてってば」
「おぉおおい! 聞こえてんのかぁーーーー! キッチンでゲームやってんじゃねぇだろうなーーーー!」
「もしかしたら、不在なのかも」
「すいませーーーーーーーーー……はぁ、腹たつなぁ。ちょっとキッチンに突撃してくるよ」
「え、だめだって、だめだって!」
制止もむなしく、リリリラトラはキッチンの方へ。ラーフーローンは仕方なくその後を追います。代わりに謝罪するために。
「ほらいるじゃ、え?」
予想通り、キッチンの中にはスタッフがいたのですが、その濃いピンク色のツインテールには、リリリラトラは見覚えがありました。
「ねぇ、ラーフーローン。これ、私の彼女なんだけど」
「誰がおまえの彼女だ! おまえのせいでここで懲罰バイトさせられてるんだから! そこに遊びに来るなんてデリカシーなさすぎ! あとこれって言うな!」
「え、懲罰とか聞いてないし知らないし」
「彼女って言うなら、知れ!」
「ぐえっ!」
バチンと横っ面に叩きつけられたのは銀色のおぼん。ヒットする瞬間、お盆の表面に輝いたピンク色の模様は打撃強化の魔法陣。その威力は凄まじく、リリリラトラは派手に転がります。
「リリリラトラ! どうして避けないの! あんたならできるでしょ!」
「ふん! 新しい女つれて見せつけに来ちゃってさ!」
おぼんを投げ捨て、その場を去っていくツインテールを呆然と見ているリリリラトラの唇は、ばっくり切れて血がぼとぼと。ラーフーローンは綺麗に畳まれた、未使用のハンカチを差し出します。
「くそー! あの魔法は嘘だったのかー!」
リリリラトラは怒り任せにソバージュヘアのウイッグを外して地面に叩きつけます。その下に隠されていた艷やかな黒髪がサラリと広がって……ラーフーローンは思わず目を奪われてしまいました。実はこのウイッグは、ツインテールの彼女の好みに合わせて用意したもの。しかも、人毛だけを使い仕立て上げた、恋のまじないを兼ねた一品です。実際に、ほんの僅かに他人を魅了する効果があったのですが…………そんなものはないも同然と言えるレベルの怒りを、リリリラトラは買ってしまったのです。
「しっかし……ヴィルゼラさんのとこの子は強いねぇ……。しかし……しかし、私を新しい彼女と勘違いするだなんて……まったく、困っちゃうよねぇ? でも……まぁ…………リリリラトラさえよかっ――」
「ちくしょー! ナンパしにいこ! ナンパ! あ、あそこにいるマッチョなお姉さん背が高くて可愛い! 茶髪のショートとか超好みだし!」
「ちょっと、リリリラトラ待って! 待ってってば! まず血拭こう? ね? ね?」
「いけ私! 自ら選択し、未来を選べ!」
「わかった、わかったから! ほら、じっとして! ああ、もう服血だらけじゃん」
「血が出るなら……殺せるはずだ」
「ねぇ、さっきからちょいちょい映画ネタ挟んでくるのって、あの子の影響?」
「え? なんでそんなことわかるの? ラーフーローンって別に映画好きじゃないよね?」
ここは万年赤字のカフェ、珈琲豆横浜支店。店名となんとなく似た響きの名前を持つラーフーローンが店長となり、この支店だけの「邪教討伐隊専用」というルールを廃止し全国一の人気店に育てあげるのは…………もう少し、先の話。
恋の懲罰 おわり
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