ラスクの魔法
その日、ごく普通のどこにでもいるような女の子は、とても、とても落ち込んでいました。女の子は、学校で年二回行なわれる魔力量検査で「魔導士基準に達していない」と判断されてしまったからです。
「ほら、そんな顔しないの。大人になってから魔力が増える人もいるんだから」
「…………」
なぐさめてくれたお母さんになにも応えなかったのは、涙がこぼれてしまいそうだったから。女の子は、絶対に泣くもんかと心の中で強く誓い、テーブルの上にある袋入りの、あまり美味しくない七つのロールパンをジィッ……と見つめていました。心のなかでロールパンに「涙止まりの魔法」と名前をつけて。
「あっ」
無情にも、ロールパンは女の子の前から持ち去られてしまいます。持ち去ったのは、お母さん。行き先はキッチンです。
「…………部屋にいる」
ぽろりと涙が一滴落ちる前に女の子はリビングを出て、ボロボロ泣きながら廊下を歩き部屋へと向かいます。
「…………」
不思議なことに、部屋に戻ると涙はスンッと止まってしまいました。代わりに「また、今回も、魔導士に、なれなかった」という事実が、女の子の中でどんどん大きくなっていきます。
「うー!」
おもいっきり蹴飛ばしたのは、去年のクリスマスにもらった、ちょっと大きめのテディベア。
「……ごめんねラリー」
壁に激突しても表情一つ変えないぬいぐるみの名前は、ラリー。それは、女の子が大好きな、魔法使いが主人公のアニメに出てくる猫の名前です。
「はぁ」
女の子は、ラリーを床に転がしたままベッドにごろん。頭の中で渦を巻くのは…………検査に合格し、魔導士の学校に転校が決まったであろう同級生の、嬉しそうな顔。
部屋に来てから三十分ほど経っても、女の子は不愉快で不機嫌で不快なまま。そんな時に、お母さんが大きな声で呼びつけたものですから…………嫌そうな顔でキッチンに向かってしまったのは、仕方のないことです。
「なに?」
「はいこれ」
「ラスク!」
一転して大喜びなのは、テーブルの上にラスクがあったから。鼻をくすぐるよい香り。女の子はまだ、その香りを具体的に表現する言葉を知りません。
「そうそう、ラスク。あなた大好きでしょう」
「どうしたの? もらったの?」
「食べてみて」
「あれ、あったかい」
「今、お母さんが作ったばかりだからね」
答える間もなく、女の子はラスクにかじりつき、パシッと弾けたクズと砂糖がパラララと床に落ちます。
「美味しい?」
「うん! 美味しい」
口に広がるラスク味はふわり優しく、今日の検査のことを忘れさせてくれます。
「どうやって作ったの?」
「あのロールパンがラスクになったのよ」
「え? パンはごはんでラスクはお菓子でしょ。なんでごはんがお菓子になるの? ほんとのこと教えて」
「ふふ、魔導士じゃなくても魔法は使えるの」
「ほんと? お母さん魔力ぜんぜんないのに? 普通の人でしょ?」
「はいはい。冷めないうちに食べなさい。ラスクがあたたかいのは今だけよ」
女の子はそのまま椅子に座り、夕飯の時間が近いにもかかわらずラスクを八枚も食べてしまいました。
ラスクを食べた日から約二ヶ月、外がだいぶ寒くなった頃……お母さんとお父さんが喧嘩をしていました。女の子は本来なら寝ている時間。でも、トイレに行きたくて目が覚めてしまったのです。
「民間の検査なんていくらすると思ってるんだ。第一、誕生日に検査を受けたいだなんておかしいだろ。だから俺はスマホを触らせるなって」
「スマホは私が見ているとこでしか触らせなかったし……まさか検索するだなんて思わないじゃない」
「目を離してるじゃないか」
「でも、あの子が受けたいって」
「そうやってすぐ話そらす癖なおせって、いつも言ってるだろ」
「でも」
「じゃあおまえは、あいつが一億ほしいといったらやるのか」
「そんなこと言ってないじゃない」
「じゃあなんだ」
「病院で検査受ければ、さすがにあの子だって納得すると――」
「ほら、言いなりじゃないか」
娘が扉の向こうにいることに気がついていない二人の声は、押さえ気味でありながらも荒く、完全に締まりきっていない扉から伸びる灯りとともに、廊下へ溢れていました。女の子はそれを聞きながら「私が魔導士になったら、魔法が使えるのに」と、思います。
廊下の常夜灯を頼りに部屋に戻ってからも、二人の争う声が頭にこびりついたまま。女の子はどうにも眠れません。
「えいっ、えいっ、えいっ」
仕方ないので、天井のシーリングライトのリモコンを手に取り光を操る魔導士ごっこをはじめます。女の子が眠ったのは、それから三十分後。手にはリモコンを握ったまま、隣にはテディベアのラリーがうつ伏せに転がって――――。
翌朝、布団とラリーがぐっしょりと濡れていたのは、夜、トイレに行けなかったせい。お母さんとお父さんは、女の子のおねしょのことも、電気をつけっぱなしで眠ったことも、一切怒ることはありませんでしたが、それが自分たちのせいで起きたものであることには、全く気がついていませんでした。
それから三日後、女の子は病院にいました。数年ぶりにおねしょをしてしまった理由を「魔力量検査を受けたいという思いが強くなりすぎて、精神的に不安定になってしまった」と解釈した両親が、連れて行ってくれたからです。もちろん女の子は、そんな理由があったなど知りもしませんが。
「学校よりすごい検査だったよ! いっぱいいろいろ! お腹を機械で触ったり、魔法の本みたいなのも使ったよ! あとね、舌をべーっとだして――」
「そう、さすが専門病院ね。すごいわ。でも約束よ、ここで魔力が足りないって言われたら、次の学校の検査までちゃんと勉強すること」
「はーい」
一時間近くかかった複雑な検査を終えた女の子はごきげん。お母さんは、そんな女の子と指切りしながら笑顔を作ってみせます。
「俺は煙草吸ってくるよ。結果出るまでだいぶ時間あるだろ。わざわざ当日でお願いしたんだからさ」
「病院の敷地内は全部禁煙よ」
「知ってるよ、そんなことは」
お父さんはほんのわずかに不機嫌でしたが、女の子は全く気がついていませんでした。
それから二時間ほどして、女の子とお母さんは診察室に呼ばれます。座っているのは、ラベンダーのような色の髪と瞳をもつ先生。検査の時には見なかった先生です。
「うわぁ、それ魔力で!」
「そうだね。魔力で変質した色だよ」
女の子はおおはしゃぎ。髪や瞳に変質が現れる人は、魔導士の中でもごく一部の、それも魔力が強い人の中だけでおこる現象だからです。
「それで……うちの娘はどうだったでしょうか」
ちょっと申し訳無さそうな聞き方をしたお母さん。女の子はその態度に「ちょっと嫌だな」と感じます。
「結論から言えば、魔導士認定されるレベルですよ。まあ、そんなに高魔力というわけではありませんが」
「え! え! や! う! ううー!」
喜びのあまり、女の子はうまく言葉を出せませんでした。
「でも、学校では基準値以下だと」
なんでそんなこと聞くの? と、お母さんの顔をじろり。
「ああそれですか。この子はですね、口腔内に魔力集中があったんです。そこでやっと基準値以上だと判定が取れました。まれにあるんですよ、使える使えないにかかわらず呪文の詠唱なんかを続けていると」
「え、呪文なんて私は知りもしませんし、教えていませんが。多分、夫も……」
「ああ、お母さんを疑っているわけではありません。少し前に、SNSに呪文を書いちゃった事件あったでしょう。ああいうののせいで、子どもが悪気なく呪文を唱えてしまう事例が、少しあってですね」
今度はお母さんが女の子をじろり。隠れて何度も呪文の練習をしていた女の子は、思わず目をそらしてしまいました。実際には、女の子が今まで唱えた呪文の中に本物は一つもなく、「この呪文はフィクションです」と証明されたアニメのものだけだったのですが……お母さんは、その可能性を考えることはありませんでした。
「ではなぜ、学校では基準値以下だと……ちゃんとした検査だと聞いていましたが」
「訓練を受けていない子どもの、それも口腔内の魔力は変動が激しくて、今日のような精密検査でないと拾えないことがあるんですよ。まぁ、娘さんの場合基準ギリギリでしたから、なおさら。それで、どうされます?」
「どうされますって……えっと、この子は魔導士として認定されたのでは」
「このくらいなら魔力除去手術でなんとかなりますよ。人によっては術後に魔力が戻ったりもしますが、娘さんのほどの低魔力であれば、一度除去してしまえば生きている間に魔導士基準まで上昇することはないでしょうし。ご存知です? 魔力除去手術」
いいえ、とお母さんは答えます。本当は、なんとなくの知識はあったのですが、医者の口から直接聞きたかったからです。
「平たく言えば、体のどこかに魔力を集中させて切り取る。そういう手術です。魔力が低ければ低いほど、切除する部位を選びやすいので――」
「体への影響は……」
女の子は、お母さんと先生の話を聞きながら、きゅっと小さな手を握って黙っています。黙っているという選択をとったのは、過去に何度か大人の話を邪魔して怒られたから。ここで怒られてしまったら、絶対に魔導士になれないと必死に我慢していたのです。
「この程度の魔力量ならそんなに大きく取らなくていいですから、影響はそこまで……そうですね、あるとすれば味覚でしょうね。娘さんの場合、舌先に魔力集中が見られますから、魔力抜けの影響で、多少甘さがわかりにくくなるかもしれません。断言はできませんが、あってもせいぜい微弱な味覚障害が数週間続くくらいでしょう」
「どういうこと?」
尋ねたのは女の子。聞いたことのない言葉ばかりで、不安になり、黙っていることができなくなってしまったのです。
「ごめんね、難しかったね。でも大丈夫、怖いことじゃないか――」
「あのね、魔力を減らす手術をすると、お母さんのラスクの味がわからなくなってしまうかもしれないのよ」
先生の言葉を遮ったのは、お母さん。その言葉に、女の子は目に涙を浮かべてしまいました。
「え、そんなのやだ。どうしたらいいの?」
「魔導士になったらいいわ。せっかく検査もしたんだし。がんばれるわね? 学校も変わるし、お母さんもお父さんも魔導士じゃないから、一緒に暮らしていけなくなるけど」
「うん! がんばる! 私すごい魔導士になって魔法使う!」
「魔導学院でおりこうにしていれば、おやすみに帰ってきたりもできるから。そうですよね、先生」
「ええ、そうですね。では、待合室でお待ち下さい。手続きの説明はまた係の者からさせますので」
「はい。ありがとうございました」
こうしてこの世界にまた一人、魔導士が誕生したのです。
ラスクの魔法 おわり
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