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痛みの愉しみ方

 たとえば珈琲を淹れる時、蒸らす三十秒が待てなかったお仕置き。今日、自分の腿を縦に切り裂いたのは、その程度の理由。

「うっああ」

 思わず声が漏れるのは、痛いから。切れ味の悪い刃物を使ったのはやっぱり大正解。もちろん、消毒済み。

「はぁっ、はぁっ」

 点滅する脳内で冷静さを探す。早く回復術式を打たないと、出血が多くなりすぎてしまう。

「…………」

 人に聞き取れないくらい、小さな声で略唱・・。このくらいの配慮は必要だよね。

「はぁっ……」

 この、傷が閉じていく感触がたまらない。回復が少し早すぎる気もするけれど、仕方がない。私の才能がなければ、この遊びは愉しめない。

「来てくれチチ! 負傷者だ!」
「はい!」

 テントから飛び出した私のあだ名はチチ。酔ってパイナップル畑で転んで怪我したからって……いくらなんでも適当すぎるよね。

「かなり酷いが、いけるか?」
「うん、すぐ治すよ」

 今度は、みなに呪文がはっきりと聞こえるように全唱・・。このほうが、術式の威力が高まるし、助けていることが伝わりやすい。それに、それが救いにもなる時もあるでしょう? だってここは、やつらとの戦争のためのキャンプ。あと一週間もしたら、最前線になるという噂もあるし。そしたら私はまた、後ろに下げられるのかな? え、もしかしてあの山の中? うーん……密林に身を隠すのは好きじゃないんだけど……。

「どうだ」
「助けるよ」

 二時間前からテントで休んでいた私は、下半身下着姿。腿も血濡れだけど誰も気にしない。こんな場所では、私の趣味は隠し続けられないし……このキャンプには気心知れるくらいの人数しかいないから! それに、誰も血は見慣れすぎている。今私が助けようとしている仲間なんて、お腹の中が見えてしまっているし。がんばったね、偵察ありがとう。

「はぁっ…あっ」

 背筋にゾクゾクと痛みが走る。今の出力じゃ足りない。早く傷を塞がなきゃ、私には増血はできないから。

「いいぞチチ、傷が閉じてきてる!」

 湿度の高い風が私の腿を撫でると、傷跡がチリチリ痒くなる。私はこれが、大嫌い。このキャンプは森のひらけたところにあるから、本当に風の通りがいいし……。

「お願い、ピニャコラーダ」
「わかった」

 ピニャコラーダというのはチチとつけられた仕返しに私がつけてやったあだ名。ラムを抜こうとしたら、怒られたけど。そんなピニャコラーダが、するりと抜いたのは黒く塗られたコンバットナイフ。

「うあっ!」

 私の腿に突き刺されたナイフ。刺す前に小型の火炎術式ライターで刃を焼いて消毒。太い血管を避けてくれたのは、流石だよ。訓練兵時代に「お嬢様」とさんざ罵られていたとは思えないね。

「う……あ」

 ようやくうめき出した負傷者。やはり痛みは、魔法の精度をあげる。息を吹き返してくれてありがとう。ずっと無言は、つらいからね。

「はぁっはぁっ」

 息が上がる……胸が苦しい……ああ、目の前が真っ暗だ。これはしばらくなにも見えないぞ。どうかな、傷は……。

「よし、ナイスだチチ! これでもう大丈夫だ!」
「そっか……よかっ……た」

 私は力尽きて、前のめりに倒れ込む――――負傷者に激突せずに済んだのはピニャコラーダが私を支えてくれたから。やっぱり私達、相性いいね。

「おいチチ、大丈夫か? 私の声が聞こえるかチチ?」

私たまにね、戦場に来てよかったなんて思っちゃうんだよ。ここはさ、冴えない田舎娘の私達が主役になれる数少ない場所なのかもね。

「聞こえるよ。ありがとうバージンチチ」
「うわ、今そのあだ名言う? 私は今や上官だぞ?」

 そう。最初にチチと呼ばれてたのは、私じゃない。めちゃくちゃだよ! 自分が先にパイナップル畑でやらかしてつけられたあだ名を、数年後別のパイナップル畑でやらかした私に押しつけるだなんて! そもそも私がやらかした時にたまたま立ち会う運の良さ! そりゃ昇進もするわけだ。

「ふふ、一度も撃たれたことないバージンの癖に意見をたれるなって、いつも怒られてたのにね」
「上官殿も、まさか被弾ゼロが私の自慢になるだなんて思ってもみなかっただろうな」

 この話は何度話しても面白いから、笑う。

「腿が温かいんだけど、触ってる?」
「回復術式に決まってるだろ。おまえみたいにうまくはできないけどな」
「ありがとう」
「いいから力抜けよチチ。魔法陣がブレる」
「うん……」
「見えるか?」
「まだ……」

 見えなくても怖くないよ。だって私はピニャコラーダの燃える夕日のような、綺麗な色の髪と瞳をいつだって想像できるから。すごいよね、もとは私と同じような、ごく普通の金髪だったのにさ。色変わりするほど魔力量が増えちゃって――――――――もう、鼻が少し低いことくらいしか、私との共通点ないんじゃない?

「目が見えるようになったら言えよ、テントに連れていくから。おまえの回復術式は隊の支えだ、しっかり休んでもらわねぇと――」
「なに言ってるの……私なんて」
「あんまり喋るなよ」

 ああ、やっぱりピニャコラーダに治してもらう時が一番気持ちいいな。下手くそだけど。

「 」

 嫌な音がした。銃弾が近くを走り抜けた音が。

「スナイパー!」

 誰かが叫ぶ。

「ねぇ、ピニャコラーダ。温かいの通り越して熱いんだけど……ちょっとがんばりすぎじゃない?」

 これは、血の温度だ。

 

痛みの愉しみ方 おわり
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