謝罪のマナー:嫌な上司を怒らせてしまった場合
たとえば
後ろに私がいるのをわかっていて
蛇口のハンドルを固く締めたアイツを
好きになってしまった時のような
たとえば
薬は全部糖衣がいいだなんて
甘えたようにすりよってきたキミを
鬱陶しいと思った時のような
ころゝころゝころ
転がる夢
ころゝころゝころ
転げ笑う
ころゝころゝころ
殺さなければ
そうね、好きも嫌いも所詮理不尽
そうよ、好きなあなたを殺人レジン
――彩内リオ『ころゝころゝころ』より
黒いソファの置かれた部屋、飛び散った血液、倒れているのは男女合わせて六名。落ちているのはその人数とちょうど同じ数の武器……バット、ナイフ、魔導書とその種類は様々です。
「なぁおまえ、誰の許可得てCC6流しとるんや? おお?」
「え……邪教組合の」
「私が邪教組合やボケ!」
唯一、命と意識の途切れていない女の襟首を掴んで凄むのは、ミュライダという名の魔導師です。百七十センチ以上はあろうかという背丈、灰褐色に消え入りそうな赤と青の細い筋が入り混じった髪。腐ったルビーのような瞳が強い印象を放ちます。
「わ、私も邪教組合です! 邪教組合の一員なんです!」
「私のほうがおまえより邪教組合やろがい!」
「本当なんです! 名簿を確認していただければ」
「その名簿になんの意味があるんや!」
「本当なんです! 先週もお金を納めたばかりで――」
「私はもらっとらんぞ!」
女は、同じ組織に属していることを一所懸命に伝えます。しかし、何度伝えようとも、まともに取り合ってはもらえませんでした。そして彼女は、なぜミュライダがここにいるのか、全く理解できていませんでした。でも、それは仕方ありません。彼女には、ミュライダの「下の者のあり方をその目で見て、理解を深める」という意図が理解できるほどの洞察力も、知能もないのですから。
「わ、私も邪……」
「次は足の指削いだろうか? それとも手の甲まで削ぐか? ああ?」
ズキンズキンと痛むのは肉を削がれ骨が露出した手指、十本。その痛みがある程度押さえられているのは、そういう魔術を使ったから。その魔術が異様に高いレベルで発動できたのは、痛みのせいではなく――――ミュライダとの会話を中断したくない――――という、恐怖のおかげ。出血が押さえられているのも、同じ理由で――――気絶なんてしたら――――朦朧となんてしたら――――確実に殺されるという強烈な脳内シグナルのおかげなのです。
「で、でも……」
「でも? なにがでもなんや? おお? 言い分あるなら言えばええがや。なぁ? 言い分はあるんか? なあ? 言い分あるならさっさと言えばええやろがい!」
「ミュライダ、落ち着いて下さい」
いくつかの方言が混じったかのような口調で怒鳴るミュライダを止めたのは、ブレクナムという名の魔導師です。ここに倒れている者たちを手にかけたのは彼女。にもかかわらず、返り血が目立たないのは黒いスーツとシャツ、黒い手袋を身に着けているため。まるで、最初から血を浴びる前提であったかのような格好です。
「なんやブレクナム! 今私が喋っとるやろがい!」
「いいですから、私が説明しますから」
不機嫌なミュライダをやや強引に引き剥がすようにして、ブレクナムは血だらけの女の前にしゃがみ込みます。
「あ……あ」
怯えが増したのは、ブレクナムの圧倒的な強さを体験していたから。ガチガチと鳴らすことすらできない本数にまで歯が減ってしまっているのも、彼女に強く殴られたせい。口の中の構造が変わったせいで発音しづらいという問題は、口や舌の動作に直接作用する翻訳術式を応用することで解決していました。喋ることができなくなれば、相手の望む答えを言うことすらできないから。
「あなたはご存じないかもしれませんが、私達は邪教組合の幹部です。特にミュライダは、かなりの立場です」
「え? か、幹部? え?」
「なぜ名乗ってくれなかったというのはなしですよ? 話も聞かず攻撃をしてきたのはそちらですから」
「おいブレクナム! めんどくさい話しとらんと、さっさと殺せやそんなやつ!」
「こ、殺さないで下さい! なんでも、なんでもしますから!」
殺せ。その言葉がスイッチとなり、命乞いが始まります。
「なんでもする? なら死ねや!」
「ミュライダ!」
ブレクナムは、ミュライダの取り出した拳銃を素早く掴んで止めました。
「日本でCC6流すんは私だけやと通達出したやろがい! おまえも邪教組合なら知っとるやろ!」
「知らなかったんです! そんな連絡なかったんです!」
「なんでないんや!」
「本当です! 本当なんです! 調べていただいても――」
「なんで私が調べなあかんのや!」
「すみません! 今、今証明しますから!」
「証明なんていらんのや! ここにCC6がある時点でおかしいやろがな!」
苛立ちをぶつけるように蹴飛ばしたのは、少し前、この哀れな女に開けさせた隠し扉。その向こうにある棚には拳銃と現金、それと、ミュライダがCC6と呼んだ液体の入った小瓶が並んでいました。
「あの……ミュライダ。一応確認なんですが、その命令いつ出したんですか?」
と、ブレクナムが尋ねます。
「水曜や」
「先週ですか?」
「今週や」
「今日じゃないですか」
外はまだ暗く、水曜日は始まったばかりです。
「忘れとったんやからしゃあないやろがな。なんや? 私が悪いんか? なぁ? 私が悪いんか? なぁ、おまえ、私が悪いんか? おい、私が悪いんか? 答えろや!」
「い、いえ、悪くありません! 悪いのは私です! ミュライダ様は悪くありません!」
呆然としてしまっていた女は、必死に自らを否定し始めます。理不尽であることに気づけぬほど、怯えて。
「なんやねんその様付け、むかつくなぁ! 煽っとるんか!」
「すみません! 私です! 私が悪いんです!」
「そうやろ? だからおまえが、さっさと死ねばええ。違うんか!」
「すみません! 許して下さい! もう売りませんから! もう売りませんから!」
「おいブレクナム、このこうるさいやつ連れて帰れや。時間かけて殺して、動画撮って、全組合員に送っちゃるわな。そうすりゃ全員言うこと聞きやすくなるやろ」
「だめですよそんなことしたら。反感買っちゃいますって」
ブレクナムは困った顔で、ミュライダに言います。
「じゃあどないせいっちゅうんじゃい!」
「ここで終わらせないと、後処理もしてもらえないですよ? 約束してきたの忘れたんですか?」
ブレクナムの言葉を聞いたミュライダは、また隠し扉を蹴飛ばします。
「ほなら、殺すしかないわな。今、ここで」
「お願いします! 殺さないで下さい! お願いします!」
「まぁ、そうですね……あれ? え? なんかうまいこと誘導されました私? あれ?」
「お願いします! お願いします!」
「ええからやれや!」
「お願いします! 殺さないで下さい! お願いします!」
「はぁ。わかりましたよ。もう、聞き出したいことはないですね?」
「殺さないで下さい! 殺さないで下さい! 殺さないで下さい!」
「こんなカスに聞きたいことなんざ、最初からないわ」
「お願いします! 殺さ――」
言葉が止まったのは、ブレクナムが土下座をする女の髪を掴み上げ、掌で胸の中央を強く打ったため。
「どこで覚えたんやそないエゲツない技。それ、ただの体術やろ」
不思議なことに、女の体は衝撃で後ろに下がることはなく、時が止まったかのように固まり――――その後しばらくして糸が切れたかのように、ドサリと前のめりに倒れます。
「幻の殺人拳、上毛空手ですよ。以前、ルートメリアにいた時、旅の日本人に教わったんです」
「なんやねんそれ。しかし、おまえはほんま簡単に殺しおるよな。いちいち綺麗事言いよる癖に」
「やるべきことはやる、それだけですよ。それに、綺麗事を言わせてもらうなら、二人目に情けをかけるなら一人目にかけろって話ですよね。今のは六人目ですけど」
「情緒不安定なやっちゃな」
「なんでそういう感想になるんです?」
ブレクナムはそっと撫でるように、今死んだばかりの女の目を閉じます。
「おまえ、ルートメリアなんかになにしに行っとったんや。あんな国、なんもないやろ」
「いやいやいや。全然知られてないですけどね、あそこは石器が出るんですよ。はぁ、持ってきたかったなぁ…………一緒にすごせたのたったの三日ですよ? あんなかわいい石器ちゃんはじめて見たのに、たったの三日ですよ?」
「なんや、まだすねとんのか」
「そりゃそうですよ! いつ帰れるかもわからないのに、コレクション全部置いてきたんですからね? 煉瓦の筆、ディッキアーノのペン、ティラアルドのグラス、赤燐光II、サイコダルマ、コバルトテープ、ガンディバ――――」
「おまえのコレクションもって日本入るなんて、捕まえてくれ言いよるのと同じや――おい、スマホ鳴っとるぞ」
「あ、はい。ちょっと出ますね。ああ、もしもし? ああ、はい。ええ、はい」
ブレクナムは手短に会話を済ませ、電話を切ります。
「なんやねんその微妙な表情は」
「悪い知らせだったんで…………」
まさに微妙な顔をしていたブレクナムは、バツが悪そうに答えます。
「どうせ結果は変わらんのやから、もったいぶらんとさっさと言え」
「はい……こっちに呼ぼうとしていた転移陣使い、やられました。邪教討伐隊に……。救出、やらせますか?」
「救出なんて無理やてわかっとるやろおまえ。転移陣は、実在することを知っとるやつすら限られとる超レア物、そのほんまもんの術者を狙い撃ちされたんやぞ」
「子どもが知ってるレベルまで普及してくれたら楽なんですけどね」
「はっ。そんななったら、世の中めちゃくちゃやで。あんなもん伝説として習うくらいでちょうどええわ」
ブレクナムの意見を、ミュライダは鼻で笑います。
「ですよねぇ……敷くのが大変とはいえ、物とか人をワープさせちゃうわけですし。いいなぁ、私も使いたかったなぁ。あ、ちょっと違うけどソール村でも手に入れようかな? あれがあれば――」
「ソール村なら邪教聖典がようけ持っとったぞ」
「いや、最強の魔法使いから奪うのはちょっと。あんなヤバい人と敵対なんてしたくないですからね。話しましたっけ? 前に一緒にメコン川で――」
「今はあいつの話広げとる場合ちゃうやろ。緊張感のないやつやな」
「あなたがそれ言います?」
「話そらしたのはおまえや」
ミュライダはため息をつき、ブレクナムは恥ずかしそうに笑います。
「別の人呼ぶしかないですかね……あれ? うちの手持ちの転移陣使い、あと何人いるんですかね?」
「動かせるやつという意味ならゼロやで。それで、捕まった場所はどこやねん」
「モザンビークらしいです。港からは離れていると。よかったですね、船に乗ってからだったら日本が行き先だってバレるところでした」
「いや、だめやと思うで。組合の転移陣使いの時点で真っ黒なんやから、隠しとる以上のもん吐かされるわ」
「そんなやわな人でしたかね?」
ブレクナムが思い浮かべたのは、捕まってしまった転移陣使いのこと。過去に数回、会ったことがあるのです。
「魔導士協会に捕まったんやぞ? あいつらは死人の日記掘り起こして読むような連中やろがな。それに今は、メルゴドランも押さえられとるし」
「アフリカにいるうちに、なんとか取り返せたらいいんですけど……」
「無理や。今回の件、間違いなくアフリカのトップが出てきとるやろからな。じゃなきゃやられた説明がつかん」
「ああ……ピライーバハイブですか。それは……無理でしょうね。あの人、ちっちゃいのにめっちゃめちゃに強いですから」
「指揮能力も高いしな。しょうみやれることなんて、ヘマしたやつらの仕置くらいやで」
重要な人物を失ったにもかかわらず、ミュライダの口調は落ち着いています。
「大ヘマもいいところですもんね。そういえば、協会は転移陣使い、何人抱えてるんでしょうね」
「知らんけど、おっても五人くらいやろ。そのうち何人が日本におるかが問題や。日本は領域の外からの転移を防御しよるシステムがあるでな。まったく、万が一に金かけるのが好きな国やで――」
「あ、すみません」
「なんやねん」
会話を止めたのは、再びブレクナムのスマホに着信が入ったから。
「ええ。はい。ええ、はい」
今度の電話は先程より少し長く、待っている間ミュライダは、死体の頭を軽く蹴飛ばすなどして時間を潰していました。
「わかりました。では、また! ありがとうございます。ミュライダ! 今度はよい知らせですよミュライダ! 名古屋県知事とコンタクトが取れました!」
電話を切って間髪あけず、ブレクナムは嬉々とした顔で報告します。
「悪い知らせはもったいぶるくせに、よい知らせのときすぐ言うんやな」
「そりゃそうですよ!」
「阿呆と喋っとると疲れるわ。それで、知事はなんて」
「密会、承諾です」
「そうか。ならおまえが行ってこいや。私が名古屋まで足を伸ばすわけにはいかんからな」
ミュライダは隠し扉の中の棚から小瓶を取り、天井の明かりに透かして見つめながら言いました。薄い赤色の液体―――それは希釈したガーネットのように美しく、液体であるのに結晶のような輝きを持っています。
「わかりました。というか、私くらいしか行けませんよね?」
「わかっとんならごちゃごちゃぬかすなや!」
「もう、いきなり怒らないでくださいよ。しかしすごいですよね名古屋県知事。三英傑のクローンを作るぞと国を脅して市を県にしちゃったんですから!」
やや興奮気味のブレクナムに、ミュライダは呆れ顔。
「どこで拾ってきたんや、そのとんでもオカルト」
「名古屋県はもともと名古屋市ですよ?」
「その男が四十八都道府県にしたのは事実やで? でもな、三英傑の話はおひれはひれ、根も葉もないわ。そんなこともわからんのか」
「そっか……そうですよね…………でも、それほどの人なら、なにかレアなもの持ってますよね? 名古屋を県と認めさせた根拠となった品とか! ほら、名古屋って金ピカで有名ですし! 車のエンブレムだって金色にする人が多いらしいですし――――はっ! もしかして名古屋こそがジパングなんじゃ――」
「なに言うとるんやおまえ」
どんどん興奮度を増していくブレクナムに、ミュライダの呆れ顔は続きます。
「でも、名古屋ですよ名古屋! 書き換えれば名を護る屋! 名護り屋さんですよ! うん、絶対名古屋にはお宝が――」
「いいかブレクナム」
「はい」
流石に騒ぎすぎたと自覚したのか、ブレクナムはシュンとおとなしくなりました。
「ええもんあっても盗むなよ? 知事とは仲良うせんといかんのやから」
「わかってますよ。えっと……全部終わったらいいですか?」
「ああ、そんときは好きにせい」
「日本で盗るなんて、懐かしいなぁ」
「悪党が」
「あなたに言われたくないですよ。どうせ、CC6の先を考えてるんでしょう? 現時点でもひどい代物なのに」
小瓶の中の赤い液体、CC6――――これは、体内の魔力と結びつくことで快感とリスクをもたらす危険な存在、快楽術式の一種。
「せやで、目指す完成形は世界初、媒介なしの快楽術式や。術式読み上げるだけで発動するようになったら、売る必要すらなくなるやろ」
「エグいですよそれ。メールでばらまけちゃうじゃないですか」
「今ならSNSのほうがええやろ。まぁ、世界を脅すには不十分やが、魔導士協会を脅すには十分な代物やが……ただこれは、いくら私かて無理かもしれんけどな」
「ですよねー。いくらあなたが天才でも、媒介なしは夢物語ですよ。だって、快楽に弱い人類が未だに開発できていないんですか――いたっ!」
思わず笑ってしまったブレクナムの脛を、ミュライダはガツンと蹴飛ばします。
「喧嘩売っとるんかおまえ」
「売らないですよ。ミュライダ、弱いですし」
「殺すぞボケ」
「で、現実的な線だとどうなんです? 媒介なしなんて夢物語ではなく」
「徐々にCC6の副作用と依存性を高めていくつもりや。そうやって地道に崩していけば、世界一安定しとるとかのたまいおる日本の魔導環境もちっとは汚れるやろ」
「今でも依存性と副作用あるじゃないですか……」
「まだ上手く付き合えるやつがおるレベルやろ?」
「まぁ、全員が破滅するわけでもないですが……それはどの快楽術式も同じですよね?」
「ちゃうで。純なCC6はな、得られる快楽に対してのリスクが少ないねん」
ミュライダは小瓶を一つ、ポケットに仕舞いました。
「それだけ聞くと、いいものに思えますけど……」
「最初のリスクを減らしておけば、大人数を手遅れにできるんやで。痒みみたいなもんや。それにな――」
「それに?」
「きつい副作用与えると、そこに喜びを感じてしまうような壊れたやつが必ず出てくる。そこまで苦痛に魅入られたやつなら、なんでも言うこと聞くで」
「どうしてそんなひどいことばかり思いつくんです?」
「まったく、おまえはほんま一貫性がないな。一人も六人も同じ言うたのはおまえやろがな」
「そんなことな……あ」
突然、ブレクナムの表情が変わります。明らかに「マズイ」といった表情に。
「なんや、また悪い知らせか」
「ええ……。最悪の最悪……最々悪もいいところです」
「もったいぶるなや」
「小説の締め切り、今夜でした」
「今書いとるの、受験ものやったっか? 先月出したやつと合わせて読むといろいろわかる仕込みしとるとかいうやつやろ?」
「そうですそうです!」
「間に合うんか」
「今からダッシュで帰れば……あ……しまった…………あのペンネーム、パソコンじゃなくて手書きで入稿するキャラにしてたんだ……」
「ちゃんとスケジュール管理せいや。お前の小説は、たくさんの待っとる人らに届けたらなあかんのやから」
「ミュライダ……今日、優しいですね」
「阿呆、私はいつも優しいわ」
「恋でもしてるんですか? 私に」
「は?」
「ミュライダの理不尽さと恋の理不尽さを掛けたのですけど。え、もしかしてわからなかったんです?」
真顔で問うブレクナム。その顔に心底ムカついたミュライダは、足元で死んでいる女の頭を思いっきり蹴飛ばしたのでした。
謝罪のマナー:嫌な上司を怒らせてしまった場合 おわり
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