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蝿の食卓

「産め! よしよしよーし! もっと産め!」

 密閉された水槽の中には、バナナの中身一本と十匹ほどの蝿が入っていました。それを眺めるのは、灰褐色に消え入りそうな赤と青の細い筋が入り混じった長い髪と、腐ったルビーのような暗い紅色の瞳を持つ魔導師。名を、メルゴドランといいます。

「ねぇ、なにやってるんですメルゴドラン。新しい魔術の実験ですか?」
「どう見たらこれが魔術に見えるのかな」

 水槽を後ろから覗き込んだのは、白いスーツを着た魔導師ブレクナム。彼女の登場に、蝿を楽しんでいたメルゴドランはがっかりした表情です。 

「ペットです?」
「蝿飼うわけねぇと思うんだけど……そこらへんにいるのに……」
「あ! もしかして、バナナに嫌がらせですか? そうでしょう。そうですよね?」
「なんの意味があるんそれ?」

 たった三回の質問で、メルゴドランの不快指数はマックスになってしまいました。

「えーなんですかもう! その奇行の真相を教えて下さいよ!」

 駄々っ子のように頬をふくらませるブレクナム。その顔があまりにも腹立たしく、メルゴドランの眉間にはシワが寄ってしまいます。

「はぁあああ」

 と、長めのため息をついた後に…………。

「食べるんだよ。蛆が生まれると食感がおもしろいから、卵産ませてるの」

 と、丁寧に説明をしました。

「バナナ腐っちゃいません? 今日も暑いですし、腐っちゃいませんか?」

 また質問。

「お姉ちゃんがいじった蝿使ってるから大丈夫。すぐ生まれるよ」

 また丁寧に返して。

「魔導改造した虫なんていろいろな意味で珍味すぎません? え、食べていいやつなんですそれ?」

 またまた質問。

「蛆を食材にする文化はちゃんとあるから。知らねぇの? ブレクナムは珍しいもの好きなくせに、食の知識はねぇよね」

 六度目の質問へのアンサーは、嫌味を混ぜて。でも、ブレクナムには全く効きません。

「だって、食は保存できないんですもん。消えちゃうコレクションなんてありえないですよ」
「あ!」
「え、無視ですか?」 

 ブレクナムそっちのけで水槽に顔を貼りつけたのは、バナナの中から現れた新しい命を発見したからです。

「生まれた生まれた! こんにちはぁ!」

 生まれたばかりの命たちがうぞうぞと、柔らかい果肉を出たり入ったりしながらその表面を耕していきます。その数――――数え切れないほど。バナナの白と蛆の白の絶妙な違いと質感の差が描く、電子ノイズのようなリズム。メルゴドランはうっとりした顔で、それを見つめます。

「お腹壊して怒られても知りませんよ? こわーいお姉さんに」
「お姉ちゃんの言う事聞いてた方がお腹壊すよ! 今月なんてもう五人食ってるんだよ? 昨日なんて二人連続! ちゃんと胃に入れるためにわざわざ一回出し――」
「あー。その話はそれくらいにしません? 私これからランチに行くところなんでグロいのはNGでお願いします」
「ならさっさと消えてくれないかなぁ!」 

 唐突なNGに、メルゴドランの額には再びシワが。

「あ、そうだメルゴドラン。あなたが最初に人を食べたのっていつなんです?」
「ブレクナムさんの頭に一貫性って言葉はないのかなぁ! 頭沸いてるのかなぁ!」

 もう話したくない。そう思っているのに、思わず言い返してしまいました。

「涌いてるのは蛆ですよ?」
「いや、バナナじゃなくて頭、な? お、ま、え、の、あ、た、ま。な?」
「で、いつなんです? ねぇ、いつなんです? ねぇねぇ、いつなんです? ところで、いつなんです?」
「……十七歳の時串焼きで食べた」

 ブレクナムから漂う酒の香りに気が付いたメルゴドランは、面倒を避けるために、面倒な質問に、面倒くさそうな顔で答えました。

「十七かぁ、わりと遅いんですね」
「何基準? っていうかおまえ人食ったことあんのかよ?」
「あはは、ないに決まってるじゃないですかぁ、他に食べるものいっぱいあるのにわざわざ人って、あはは!」

 死ね。その言葉はぐっと飲み込んで。

「もしかしてその串焼き、ミュライダが作ってくれたんです? え、ミュライダが串に刺したんですか? ぷぷぷ! ミュライダが串焼きだって!」
「お姉ちゃん以外に誰がするのさそんな残酷なこと……」
「あはは、たしかに! あはは! 何個? 何個串に刺してたんです?」
「五個」
「あははは! 五回も刺したんですか! あのミュライダが! あはははは」

 大きく開けて笑う口から、濃い酒の匂いがもわりと広がります。それは、酒がそんなに好きではないメルゴドランへの気遣いとして口元にかけていた匂い消しの魔法が切れたせいであったのですが……ブレクナムは切れたことには気がついていませんでした。

「揉めてる相手呼んでさぁ、目の前で私に食わせてさぁ。おまえもこいつに食われたらどうだ? そうすれば家族とまた一つになれるぞ? 家族六人仲良く……って、お姉ちゃんが言ってさぁ……」

 微妙な思い出話を、ダルそうに話すしかないメルゴドランの心境は最悪。

「えっと、そういう重い話はNGでお願いしたいんですよね」
「おまえさぁ! 私のこと馬鹿にしてるだろう!」

 かぶせてきたブレクナムに対してキレてしまうのは、仕方のないことです。

「してませんってば!」

 そしてなぜか、ブレクナムがキレ返してきて……。

「あれ、どうしたんだその目。馬鹿だから転んだのか?」

 メルゴドランが見つけたのは、ブレクナムの右まぶたの薄っすらとした腫れ。

「え? 今気がついたんです? え? 今? え? 今?」
「興味ないからな、おまえのことなんて」
「馬鹿にしてます?」
「おまえなぁ……。で、どうしたんだよそれ」
「あー…………」
「いや、人に散々聞いたんだから答えろよ馬鹿」

 ブレクナムの「どうしようかなぁ、言っちゃおうかなぁ」みたいな表情に、メルゴドランは「ぶち殺したい」と心の底から思いました。

「いや、まぁ、あのですね。友達の子どもに言葉にのを混ぜて喋ると面白いよって教えたんですよ。遊んであげようと思って、の?」
「は?」
「こんにちはの。おはようの。こんばのんはの。いただきのますの。おかえりのなさいの。おのやのすのみなさのいの。ぼくのの年齢のはの六の歳のですの、よろのしくのおねのがいしまのすのの――」
「やめろ、頭おかしくなる」
「これが面白くって二人で大ハマリ! あはは。意外と難しいんですよ?」

 また、笑い声と酒の匂い。 

「それのなにが面白いんだよぉ……」

 盛り上がっていたはずのメルゴドランの食欲は、とっくに消え失せてしまっています。せっかくのバナナもだいぶグズグズに……。

「三時間ぐらいのを混ぜて会話してたら、そのの子がね、癖にののなっちゃったのかちゃんのと喋のれのなくなっちゃっての。あははは。のを混ぜると語感が悪くなるし、言葉が壊れるから!」
「はぁ?」
「言いづらくなるからこそ、変に意識しちゃって繰り返してると抜けづらくなっちゃうんですよ! わかります? あははのは」
「わかって仕掛けるはだめだろ……相手六歳なんだろ?」

 今できることは、ただ引くのみ。

「あははは、そんなに重たくとらえなくても大丈夫ですって、そのうち戻りますのからの!」
「いや、反省しろよ! 友達に怒られたんだろ?」
「短気ですよねぇ……ちょっと喋り方がバグっただけなのにさぁ! 子どもなんだからもう一回言葉教えればいいだけなのに!」

 納得できないといった顔と大声に、メルゴドランは口をあんぐり。そして――――。

「ブレクナムさ……もう……ランチ行ってくれないかな?」

 と、半分泣いたような顔でお願いしたのです。

「そんなことないんですよ! 殴られてあげたし! 反省して目腫れたままにしてますし私! ねぇ!」
「怖いよおまえ」
「え、人の脳みそ食べて情報抜く人に言われたくないですよ」
「死ねばいいのに」

 唐突に真顔になったブレクナムに、メルゴドランは即座に言い放ちました。

「いやだなぁ、誰も死ねなんて言ってないですよぉ! 一応友達なんですからぁ! そんな酷いこと言うわけ――」
「おまえが死ねばいいのにってことだよ!」
「え、嫌ですよ」

 ピシッピシッと聞こえるのは、水槽の壁に蝿が当たる音。

 

 

 

蝿の食卓 おわり
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