アクアリウムライライラ
第一部 アクアリウムの白
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【004】第二冊一章 魔力炉とネオンテトラ

 少年がどこかへ行ってしまった後、ライライラはなんとか魔法を使おうといろいろと試みてみました。でも、全く発動しないし、元の世界に帰れる気配もないので、諦めて歩きはじめます。あちこちを調べて回り、この幻術の謎を解こうと思ったのです。

「なにがペルーグラステトラだよ。透明ならガラスだろ、グラスってコップだし。あれ? 透明のグラスがコップ? 色ついててもグラス? ああ! もう! っていうかペルーってなんだよ! 国か? ペルーってマチュピチュあるところじゃなかったっけ。あれ、もしかしてあの魚……ペルーの魚って設定なのか? はぁ、どういう設定の幻術だよ……そんな設定つけるなら現実にいるくらいの透明っぷりにしとけよ! いくらなんでも透明すぎんだろ!」

 ペルーグラステトラは、特に襲ってくることもなく、追いかけてくることもありませんでした。ライライラは彼らから離れるように、草原を歩いていきます。一人喋り続けることで、心の底に湧き出てしまうちょっとした不安を紛らわせながら。

「アンデス系の魔術にあんなんいたか? うーん。あの系統、たしか文字使わない時代の魔術も多いから記録に残ってないのがあってもおかしくは…………うわ、露骨なの出てきたな。あれが、この幻術の境界線か。ちょうどあの白いやつが消えたあたりだな」

 もすもすと植物の間に足が埋まるのを気にしながら歩いていると、大きな壁がスッと目の前に現れたのです。急に、唐突に。一瞬ビクッとしたライライラでしたが、すぐに手を後ろに組んで平静を装いました。

「うーん、これもアンデス系の魔術? まさか透明だからって、アムナスの美味しい水で作りましたとでも言うつもりじゃねぇだろうな」

 壁は茶色く濁っており、向こう側の様子はよく見えません。

「うわ、汚なっ……三角定規でこすりてぇ」

 近づいてみるとその茶色は、壁の向こう側に付着した汚れのようなもので、ライライラの言う通り三角定規の長い辺でこそぎ落とせば、爽快感を得られそうなくらいびっしりとついていました。ちょっと視線を斜めにしてみると、壁そのものは透明な素材でできていることがわかります。草原の植物は壁際までぎっちり。右を見ても左を見ても土が見える部分はありません。

「ガラスの魚に、ガラスの壁。そのうちシンデレラでも出てくるんじゃねぇだろうな。ん? まさか十二時になるまで魔法が解けない? いや、あのババァがそんな単純なことしかけてくるか?」

 壁の汚れはこちら側には一切なく、全て反対側についていました。ライライラのいる側はつるりピカピカ。まるで誰かが手入れしたかのような清潔感があります。

「分析…………は、無理と。でもどうせ、この向こうにいかなきゃだめなんだろ」

 壁に向かって手をかざしてぼしょぼしょと唱えてみましたが、やはり魔法は発動できません。

「ああ! もう! 魔法使えないの不便過ぎる! もうこれ夢確定! 夢じゃなきゃ魔法使えるはずじゃねぇかうわあ!」

 怒り任せに壁を蹴飛ばしたはずだったのですが、足の長さが足りなかったのか、それとも距離を見誤ったのか……足に壁がぶつかる感触もなにもなく、思いっきり転んで尻もちをついてしまったのです。ライライラはごめんねと、お尻の下で衝撃を和らげてくれた植物に謝ります。

「はぁ、こんな壁、魔法が使えたら振動あたえてぶっこわしてやるのぉおあああああ!」

 立ち上がり、今度はしっかり距離を見てから蹴飛ばしたはずでした。いつか動画サイトで見た胴を薙ぎ払うようなキックをイメージして――――でも、足にはなんの衝撃も感触もなく、勢い余ったライライラはくるくると軸足を中心に横回転すると、バランスを崩し、前のめりに思いっきり倒れてしまいました。

「ぐ…………」

 一瞬黙ってしまうくらいの、強い痛み。全身に感じるゴツゴツした感触。すぐには起き上がれないほどの鈍痛は、倒れ込んだ地面のせいでした。やたらめったら硬い、ゴロゴロ石だらけ……ライライラが倒れたのはそんな地面だったのです。不思議なことに、それまで足元に生えていたはずの植物は、一切合切存在しません。草原の上ならば、転んでもそこまで痛くなかったはずなのに。

「ぐぬぎー!」

 あまりの痛さに顔を押さえてひっくり返り、しばらく足をバタバタさせて痛みに耐えてから、死んだように静かになりました。そして、ガラスの壁を蹴飛ばそうとした自分の勢いに、ちょっと引いてもいました。割れて怪我したら、どうするつもりだったんだと。

「ぐぬぎす……」

 体にできるだけ負担をかけないよう大人しめにゴロリと半回転してうつ伏せになり、プルプルと手を震わせながら一所懸命に体を起こします。

「え……」

 あたりの景色は一変していました。一本の草も生えていない、石だけでできた大地。その石の大きさは拳より少し小さいくらいで、誰かが選別して揃えたかのように、ほとんどが似たような大きさです。黒が一番多く、その中に灰色や白っぽい石が少しだけ混ざっています。

「ああ……そういう」

 しばらくして、ライライラは自分がなんの抵抗もなく壁をすり抜けたことに気がつきました。ぶつかることも、触れることもなく、まるでそこに存在しないかのように通り抜けられる壁。この世界が幻術であると考えるならば、それは特に不思議なことでもなんでもないので、驚くことはありません。

「…………」

 立ち上がり、まだじんじんと痛む体を気にしながら後ろ歩きで、茶色く汚れた壁を見ながら少しづつ離れていきます。

「…………」

 ペースを落とし歩幅を狭めて、もう少し離れて。

「…………」

 そこからさらに離れてみると、壁がフッと消えました。そして、見えないけれど存在するはずの壁の向こう側には、今足元にあるような黒っぽい石の大地が続いています。本来であれば、そこは壁の向こうの草原であるはずなのに。

「…………」

 トトトッと数歩前に出てみると、消えた壁がスッと現れます。茶色い汚れの隙間から見えた向こう側は緑色。あまりにも壁が汚すぎて、その造形までは確認できませんが間違いなく草原の色です。

「もしかして……」

 壁の間近までかけよって立ち止まり、じっと見つめます。どう見ても存在する壁。なんの抵抗もなく通り抜けられたり、離れると見えなくなったりすることが嘘のようです。横を向いてみると、壁は延々と続いているように見えます。ただ、横方向もある程度の距離以上は見えなくなるようで、全長はよくわかりません。

「うう、これはちょっと嫌だな」

 反対側から見た時に、透明な素材であることが容易に認識できたことなど忘れてしまいそうなくらい、茶色く汚れた壁。近くで見てみると、その汚れは妙に生々しく、はびこるように付着しているものだとわかります。

「ああ! もう!」

 ライライラは、嫌そうな顔でギュッと目を瞑り壁に向かって大きく一歩踏み込みました。

「ふぅ……。うん……そういうことね」

 やっぱり、体が壁にぶつかることはありませんでした。そして、壁を通り抜けたライライラの目の前には、あの可愛らしい葉っぱの草原が広がっています。一瞬、汚れが体に触れたような気はしたのですが、顔にも服にも一切付着していませんでした。

「で、どうせ離れると消えるんだろ」

 黒っぽい大地の空間でやったように、草原の空間でも後ろ歩きで離れてみると、ある程度距離があいたところで壁はフッと見えなくなりました。そして一歩前に出てみると、壁はスッと現れます。ライライラは何度か前後に飛び跳ねたりして、壁の出現と消失をスッフッスッフッスッフッと繰り返し確認すると、自信ありげな顔で両手を腰にあて胸を張ってみせました。でも一人ぼっちで虚しかったので、すぐに手を下ろします。

「うん。この壁、ちゃんとした法則があるな。ん? ああ! ってことは、幻術じゃなくてこれ、魔導空間じゃねぇか! 凝ったマネしやがって、私を封印するつもりかよあのババア! 私は邪神じゃねぇぞ!」

 悪態をつきながら勢いよく壁を抜けて、黒っぽい石の大地のほうへと移動します。

「くそーっ! これも予想通り!」

 ライライラの頬と膝には茶色の汚れがわずかにぺとり。指で拭うと、ちょっとぬめるような嫌な感触がありました。最初通過したときは気づかなかったのですが……こちら方向に移動すると、壁の汚れがわずかに服や肌についてしまうようです。それから、ライライラは嫌そうな顔で、検証のために何度も壁を通り抜けてみました。その結果、汚れがある側から通り抜ける時はなにも付着せず、汚れのない側から通り抜ける時は付着するという法則が、しっかり固定されていることがわかります。

「通過条件は特になさそうだな」

 何度通り抜けても、抵抗はなく、壁が揺れる様子も変形する様子もなし。ただただそこにあるだけです。視覚的には存在するし、世界の様相が変わる境界線であることはわかるのですが、触れることはできません。ライライラは顔や足、露出している肌に付着した汚れを、背を丸めたり座ったりしながら黒いエプロンで拭き取ると、壁に背を向け石だらけの大地を歩きはじめます。

「こっちの空間のほうが殺伐としてる。だいたいこういうところに、仕掛けがあるんだよな。こないだ学校でVRやったときもそうだったし。ふん、知ってんだぞ私は。物が少ない空間のほうが流れがシンプルになるから……あれ、なんだっけ」

 石だらけで殺風景。そんな見た目に反して足元には安定感があり、意外と歩きやすく感じます。しばらく歩いてライライラは、それが、石に角がないおかげだと気がつきます。まるで「使い込んだ砂利みたいだ」という考えが思い浮かびましたが、そもそも砂利を使い込むという意味がわからず、自分の突拍子もない発想に思わず吹き出してしまいました。

 

 

 

【004】第二冊一章 魔力炉とネオンテトラ おわり
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