第一部 アクアリウムの白
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【007】第三冊一章 空中グッピー
帰れない。いや、帰る方法はあるけれど、その条件がわからない。そんな現実を突きつけられたライライラは引きつった顔でフォルナの説明を聞き続けました。
一つ、この世界には自ら入ることができない。
一つ、この世界に入るためには他者に送り込まれなければならない。
一つ、この世界から帰るためには個別に定められた帰還条件を満たさなければならない。
「一つ、この世界では魔法を使うことができない……そんなとこかしら。基本はね」
「そんなぁ! 私帰れないじゃん!」
「そうね」
「そうねじゃなくて!」
地団駄を踏むライライラを見て、フォルナはクスクスと笑います。
「なに笑ってんだよ!」
「いや、かわいそうだなって」
「悪魔かよ!」
「いいえ、魔導師よ」
「私だって魔導士だよ!」
どうしたら帰れるのだと、ライライラは頭を抱えてしまいました。
「天才少女なんでしょ? なんとかなるんじゃないの、魔導書いらずなら」
「こんな規模のでかい魔導空間どうするんだよ……どうせ似たような世界が連なってんだろ? あの変な壁がいっぱいあって! そんなでかいの一人二人じゃどうしようもないだろ!」
「一人二人って、私を頭数に入れてるのかしら?」
「入れ……入れてねぇよ!」
「でも似たような世界というのは、間違っているわ。どれも個性的なアクアリウム、楽しいわよいろいろあって」
「知らねぇよそんなこと!」
どのくらいの規模の空間なのか。あの壁がいくつありいくつの水槽が連なっているのか。それはまだ、全く把握できていませんでしたが、ここが異様に手の込んだ特殊な空間であることだけは、はっきりと理解できました。そして――――そんな高度な魔導空間の中で魔法を封じられたら、簡単には攻略できないということも。
「ああ、くそっ。こんな魔導空間あるだなんて聞いたことねぇぞ!」
「ええ。だってここは一部の高等魔導士だけが知る隠れた修行場だもの。入れただけでも大したものよ、いくら条件付きでも、魔力量が少なければ入れないから」
「こんな時に褒めるなよぉ! 気持ちがおかしくなる!」
ライライラの目からポロポロ涙がこぼれます。そして、水槽の中、つまり、ここは水中であるはずなのに涙が頬を伝うという異質に、更に心が締めつけられていきました。
「上を見たまえよ。ネオンテトラたちは、美しく生きている」
「うわっ! いきなり出てこないでよ! っていうかおまえ、後ろからしか登場できねぇのかよ!」
ライライラの肩にポンと手を置いたのは、あの草原を走り去っていった白髪の少年でした。
「あら。可愛いわね」
「ふむ、ありがとう。でも今は感謝どころじゃないのだよ」
少年はライライラの涙を白いハンカチで拭うと、その濃いピンク色の瞳で、まだ止まらぬ涙でうるむ漆黒の瞳をじっと見つめました。そんな少年にカメラを向け、フォルナは三回ほどシャッターを切ります。
「僕を見つめ返すのはやめたまえ。ほら、上を見るんだ」
「……」
あまりにも真剣なその表情に、ライライラは鼻をすすりながら素直に上を見上げました。
「綺麗」
滲んだ涙越しにぼやけるネオンテトラの青と赤。そして銀色。群れて泳ぐその姿は、まるで宝石のよう。
「なんでネオンテトラが綺麗だと思う?」
「え? キラキラしてるから?」
「生きてるからなのだよ」
少年の答えを聞いたライライラは、ふふっと笑い出します。
「なぜ笑う」
「え、綺麗だなぁって。そっか、生きてるから綺麗なんだね。だよね、生きてるから泳ぐし、生きてるから…………」
「うむ。だから泣くのはもうやめたまえ。君の泣き声は、もう聞きたくないのだよ」
「もう聞きたくないって……今聞いたばかりじゃん」
ライライラは袖で涙を拭くと、大きく背伸びをしました。
「よし! 意地でも帰還条件を探してやる! 私は魔導書いらず! 奇跡の術式庫! 赤の女王少女! 神の結論! 学ばずの天才だからな!」
「うん、そのいきなのだよ! その勢いなのだよ!」
「ねぇ、盛り上がってるところ悪いのだけど」
「なんだよ」
突然割って入ったフォルナに、ライライラは本気で嫌そうな顔をしました。
「あなたが魔導書いらずって呼ばれてるのは知ってるし、他の異名があることも知ってるわ」
「うん、私のことだし」
「でも、奇跡の術式庫も神の結論も学ばずの天才も、自己紹介スレに調子に乗った書き込みをしたあなたを煽るためにつけられた異名よ? だから使わないほうがいいわ。そうね、魔導書いらずだけじゃないかしら、安心して使えるのは」
ライライラは固まってしまいました。フォルナの放った言葉が、事実として受け入れられなかったからです。
「ほ、ほんと? あの時、馬鹿にされてたの私?」
「あら。やっぱりあの時書き込みしてたのは本人だったのね。ちなみに、あの時学ばずの天才って書いちゃったのは私よ。ごめんなさいね。でもいいじゃない。あなたがほとんど魔導書を読まないのに魔導学院の優等生であることは、事実なのだから」
「…………」
ライライラの目にまた涙が浮かびます。
「そもそもなんで魔導士ちゃんねるなんかに書き込んだのかしら? あなた掲示板よりSNSのほうが好きそうな顔してるのに」
「……すごい魔導士が集まる秘密のサイトだって…………クラスの友達が……」
「全然秘密じゃないわよ。検索したらすぐ出てくるじゃない」
ぽろり。涙が一粒こぼれます。
「もしかして、私って嫌われてるの?」
「私は嫌いじゃないわよ」
「僕も嫌いではないのだよ」
それからしばらく、ライライラは泣き止みませんでした。
「はぁ、もう仕方ねぇ! スマホだって置いてきちゃったし、もうどうでもいいじゃねぇか!」
メソメソとしゃがんで泣いていたライライラは、突然立ち上がります。
「ほら、またそうやって虚勢を張る。だからおもちゃにされるのよ」
「ぐぬぎー!」
「あ、その怒り方可愛いじゃない。好きよ」
「僕も好きなのだよ! もう一度ぐぬぎーと言ってほしいのだよ!」
「ぐぬぎー!」
また泣きそうになったライライラでしたが、上を向いてネオンテトラを見ることで……なんとか耐えることができました。
「とにかく! 私はそのきか、きか……」
「帰還条件」
「帰還条件を満たせばいいんだろ! 見つけてやるよ! あのくそババァ! 学ばずの天……じゃなくて、魔導書いらずのすごさを見せてやる!」
気合全開といったような大声で叫びながら、一人ズカズカと歩き始めたライライラは………少し進むとくるりと反転し、また二人の元へと戻ってきます。
「ねぇ……その…………」
もじもじとするライライラを、フォルナと少年は嬉しそうな顔で眺めます。
「心細いのかね。仕方ない、僕が一緒にいてやる。感謝したまえよ」
「こっ、この私にそんな上から目線で……」
「だから、無理して虚勢を張るのはやめなさい。一緒にいてあげないわよ。マナマズの天才さん」
「う、お願いします。って、学ばずの天才って言うなよぉ!」
「あら、やっぱりアクアリストじゃないのね。今のギャグ通じなかったわ」
「煽るためのあだ名は笑えねぇよ!」
ナマズ目ナマズ科の魚であるマナマズと学ばずをかけたフォルナのギャグは、ライライラには通じませんでした。
「まぁいいわ。よろしくね、ライライラ」
「よろしくなのだよ」
ライライラは返事をしたかったのですが、声を出すとまた泣いてしまいそうだったのでペコリと頭を下げることにしました。
「よかったじゃない。魔法が使えなくなって」
「なんでだよ!」
意味のわからないフォルナの問いかけに、ライライラはちょっと怒ります。
「かっこつけなくてよくなったから」
「かっこつけてなんかねぇよ!」
さらにもうちょっと。
「君はかっこつけていたのかね? 僕にはその気持ちがないからわからないのだよ」
「おまえまで乗ってくるなよ! っていうか、そもそもなんなんだよその喋り方は! なにがなのだよなのだよ!」
ぷんすかぷんすか。石だらけの真っ黒な地面を、何度も踏みつけながら怒るライライラはどことなく嬉しそうでした。
「ところで、僕の名前を知っているかね?」
「知るわけねぇーじゃん。会ったばかりなんだからさ」
「ふん、僕は白兎なのだよ!」
「え、どういうキレ方なんだよそれ!」
「僕は白兎なのだよ、ライライラ」
「う、うん」
その時、上の方でネオンテトラとは違う輝きがありました。
「うわっ、あれ、あのオレンジ。私が買った魚と同じ!」
「ああ、グローライトテトラね。綺麗よね、あの色合いも」
「うん、すっげぇ、めちゃくちゃ綺麗だ。ネオンテトラも綺麗だったけど、どっちも綺麗だ」
「全部の綺麗の中に、自分だけの綺麗があるのだよ。僕は、君を見てなんとなくそう思ったのだよ」
「なんだよそれ、今思ったのかよ」
笑うライライラの顔を見て、白兎は恥ずかしそうにそっぽをむいたのです。
【007】第三冊一章 空中グッピー おわり
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