アクアリウムライライラ
第一部 アクアリウムの白
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【009】第三冊三章 SORA中グッP

「びっくりするじゃねぇか。なんなんだよ」
「すぐに、この世界から出るんだ」
「はぁ? まさかあの地味な魚が襲ってくるとでも?」
「いや、グッピーは襲ってはこないのだよ」
「じゃあなにがやばいんだ? あ、まさか脅かそうとしただけか?」

 そんな話を続ける二人を置いて、フォルナは黙ったまま一人でその魚の方へと近づいていきました。

「だめなのだよ!」
「大丈夫よ、怖がらなくても」

 逃げようともしないその魚に向けて、フォルナが手をかざすと――――キィッと耳障りな音がなり、空中から透明な板が現れあっという間にその魚を囲ってしまいました。上も、横も……横壁は真下に突き刺さるようにして、地面を狭く区切ります。そして、上下前後左右とも体長の二倍もない小さな部屋に閉じ込められた魚は、出してくれと暴れるわけでもなく、さっきと同じように、痒そうに体をひねり地面にこすりつけただけ。

「これで大丈夫。というか、魚の病気は私達には感染しないでしょう。怖がらなくてもいいわ」
「僕は、魚たちに起こることを見せたくなかったのだよ」
「あら、優しいわね」
「君の判断も……優しいのだよ」
「お、おいどうしたんだよ」

 なぜか苦しそうな表情の白兎の顔を、ライライラは心配そうに覗き込みます。

「あの魚、病気なのか?」
「白い病なのだよ」
「もしかして……伝染るのか?」
「魚にしか伝染らないのだよ」

 ライライラは、今度はフォルナのほうを向きました。

「なぁフォルナ、さっき使ったのは魔法か?」
「魔法……そうね、ちょと特殊だけどその類だわ。私達の間では、ひとつおぼえと呼ばれていてね。この世界に来た者に付与される、たったひとつの、この世界の中だけで使える、そんな魔法よ」
「私も使えるのか?」
「ええ。発動させることができれば。ただ、それがどんな能力かはわからな…………ねぇ、ライライラ。あなた、意図的に核心に触れないようにしているわよね。言ってみなさい、今思っていることを」

 複数枚の生地が重なっているスカートの一番上の厚手の生地をその上の黒いエプロンごとギュッとつかみ、唇を噛んだライライラは決心した顔でフォルナの目を見ました。

「その透明の箱、あの壁と同じ?」
「ええ。性質は」
「それ、消せるの?」
「消せないわ。出したら出しっぱなし。それで、もう一度言うわよライライラ。はっきり、思っていることを言いなさい」

 ライライラにはフォルナが出現させた透明の箱がどのようなものか、想像がついていました。そしてその想像が、多分、正解であることにも。

「その壁、通り抜けられるのは人だけなんだろ。魚は、無理なんだろ」
「正解」
「だから魚の病気も、通り抜けない」
「正解。さあ、はっきり言いなさい」
「その魚をそこに閉じ込めて、死ぬまで……死んでもそのままにするんだろ」
「正解よ。あなたが泣く前に補足してあげると、この世界からの帰還条件は甘くない。教える気はないけれど、私もかなり重い条件を付与されている。それに、戻ったとしても、この空間にはアクアリウムに関連するものは持ち込めない。つまり、この病に対する薬は持ち込めない。わかるわよね、同じ属性のものを拒む、魔導空間にはありがちな法則よ」

 淡々と説明するフォルナを一瞬睨んだライライラでしたが、すぐにぎゅっと目を閉じ涙をこらえます。どうして自分が泣きそうなのか、理解する余裕もなく。

「この世界が水槽なら、外から……」
「賢いあなたがここまで聞いたなら、もうわかっているでしょう。この世界に接続された水槽には、外部から干渉できない。魔導空間として規模が大きくなりすぎたのよ、外からさわれる限界はとっくに超えているわ」
「じゃあ!」
「見なさい上を。この水槽にはグッピーがたくさん。ここでこの病気が蔓延したら全滅するわ。あなたが思っているより簡単に」
「……ごめんなさい」

 そんな言葉が出てきたのは、自分がここに送り込まれる前にメイドに用意してもらったあの水槽のことを思い出したからです。ライライラは自分の判断で、綺麗な魚を五十匹買ってきた。その全てをあの小さな水槽に入れたら、今見上げているグッピーたちよりも、ずっと密度の高い空間になる。もしそこで、同じ病気が発生したら――――。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんね……本当にごめんね」

 フォルナの作り出した透明の箱の中で、じっと佇む魚に駆け寄りました。そして手をのばすと、ライライラの手はなんの抵抗もなく壁をすり抜けます。

「ライライラ、もういいのだよ。僕たちは、白い病をどうしようもできないのだよ」
「ええ。少なくとも今やるべきことは、他に感染している魚がいないか探して――」
「その魚もこうするの?」
「ええ。ここでできる最善はそれ。私はナマズ好きだけど、グッピーが嫌いなわけじゃないの。アクアリストとして、魚がいればベストを尽くしたい、そう思うわ。犠牲者の前で綺麗事を吐くのは申し訳ないけれど」

 フォルナと白兎はそれぞれ別の方向を向き、他に病気の魚がいないか探しはじめます。

「私は、ここにいていいかな。だってさ、もうすぐ死んじゃうんだろこいつ」
「この先は残酷だから、見ないほうがいいわ」
「どうして」
「見ていられる? 身体中に白い点が現れて、どんどんそれが増えて――――」

 灰色の魚と目を合わそうと、ライライラはしゃがんでじっと透明な箱の中を見つめます。

「見てる。最後まで一緒にいるよ」
「それより他の病気の魚を……いえ、そうしてあげなさい。きっと、そうしてあげれば寂しくはないわ。病気の魚は私が探すから」

 うなずいたライライラの目の前で、灰色の魚はまた、地面に体をこすりつけました。そして「僕も隣りにいる」と白兎が言い、ライライラのとなりにしゃがみます。

「ねぇ、そんなにいっぱいこすったらだめだよ。ほら、地面石だらけだし。もうおまえのヒラヒラ、なくなっちゃってるじゃん」

 話しかけても、灰色の魚は答えません。ライライラの方を向くこともありません。

「私さ、魚に病気があるだなんて、考えたこともなかったよ。でもあるよな、生きてんだもん。私もさ、風邪ひいたとき大変だったんだ。すっごい熱が出て……それでごはんもたべれなくて…………」

 一瞬目があった気がしましたが、きっとそれは気のせいだとライライラは思いました。

「なあ、おまえはもう自分が死んじゃうって、わかってるのか?」

 その時、灰色の魚が勢いよく前に出て、フォルナの作り出した壁にぶつかります。

「違うよな、生きようとしてるんだよな。死ぬなんて思ってないよな!」

 人は全く抵抗を感じないけれど、魚は通り抜けられない壁。その壁に手を通し、灰色の魚に優しく触れました。

「暖かくねぇ」

 その時です。ライライラの手の温度がじわりとあがり、胸の奥からこみ上げるような刺激があったのは。

「あ……」

 パチパチパチとなにかが小さく弾けるようなそれは、ライライラのよく知っている感触です。

「ライライラ、それは……」
「魔法だよ! 白兎! これは魔法、強い魔法を使うときのちょっと痛いやつだ!」

 手のひらから光が溢れ、透明な箱の中で反射し、透過し、キラキラと輝きます。まるで、そこから昼が生まれたかのように。そして光は強くなり、目が眩んだかと思うと、ばちゃんと水音が聞こえ――――。

「なぁ、魚の病気は魚にしか伝染らないんだろ? だから、そんな姿になったなら、もう魚の病気は関係ないんだろ!」

 光が消失したあと、そこに立っていたのは灰色の髪をもつ、ライライラより少しだけ背の低い少女でした。後ろにあるのは、フォルナの作り出した箱。その中は空っぽ……中にあの灰色の魚の姿はありません。 

 

 

 

【009】第三冊三章 SORA中グッP  おわり
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