第一部 アクアリウムの白
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【010】第四冊一章 ヌードルラーメンコリドラス
その少女は灰色の魚の変化した姿であると、ライライラと白兎、そしてフォルナは確信していました。この魔導空間限定の固有能力――――ライライラのひとつおぼえが開花した結果であると。
「えっと……な、なに、ですかこれ? えっと」
よくわかっていないのは、少女になったばかりの少女だけ。
「女の子だったんだね」
「グッピーのメスは、ヒレが大きくならないのだよ」
「ねぇ、もう痒くないか? つらくない?」
今、ここでおきたこと。それは、ライライラが今までに経験したことないような……見たこともないような……伝説かおとぎ話の世界にしか存在しない魔法と言っても差し支えないような結果であったのですが…………少女に対する感情が優先され、それについて意見を述べることはありませんでした。
「えっと、うん……痒くない……です」
「よかった……あ、あれ?」
ぐにゃり、ライライラの視界は歪み、そこで意識が――――プツン――――途切れてしまいました。
グラグラと揺れる感覚。
背中の下に地面がないような感覚。
浮いているような落ちているような感覚。
全く移動していないかのような感覚。
「来た、 」
そんな感覚の中で、ライライラは自分を呼ぶ声に目を開きました。鈍く脈動する頭痛の中から這い上がるかのように。
「えっと……いてて、頭痛い」
「現れた、 」
「えっと、こんにち……え!」
ライライラが驚くのも無理はありません。目の前にいたのは、鏡を覗き込んだ時に見える自分の姿そのものだったのです。
「わ。私?」
「違う 」
瓜二つの姿。髪色から服装……そして声まで、まるで同じです。
「 聞いているか 」
自分と同じ顔の少女の言葉は、ほとんどが聞いたことのない発音で構成されておりうまく聞き取ることができません。「ヴォ」だとか「ァ」だとか、そんなような音は拾えるのですが。
「う……これ、やばいやつ?」
今身を置いている空間は、あの、グッピー達の泳ぐ美しい世界ではありません。上も、下も感じられない、黒いのか、青いのか、それとも赤いのかよくわからない空間です。ただ一つわかるのは、暗闇であること。色も相手の顔もはっきりと認識できるけれど、とてもとても暗いのです。真っ暗よりも、はるかに。
「やばく 。たくさんの魚いる こと」
「う、おまえ……じゃなくて、あなたはもしかして……この世界の重要ななんとか……ですか?」
「私は 」
多分――自分は今気絶してしまって、意識だけがこのなにかしらとリンクしている。そしてこのなにかしらは、水槽で構成された魔導空間における重要な存在である。ライライラはそう推理しました。背中を流れる嫌な汗、間違いなく自分は今、触れてはいけない存在と対峙していると本能が警告します。
「 」
「あの、聞き取れなくて、ごめんなさい……」
「 じゃない 違うなら、」
それは特に威圧的でもなく――声を荒げたわけでもないのにライライラの体が硬直します。ズキンズキン、頭の痛みは強くなり――――。
「その……ご、ごめんなさい」
「怒ってなどいない。 は贈り物を好んだか」
「贈り物? えっと……あの能力のこと?」
「そう。 の のこと」
音として聞こえたはずだけれど、音として認識できているのか、できていないのか――――それが、自分の全く知らない発音で構成されているからなのか(そもそもそれは自分に向けられたものなのか)――――それとも、本当は音ですらないのか(そもそも音は発生していないのだろうか)――――――――。
「ライライラ! ライライラ!」
「えっ……あ、あれ?」
「よかった! 心配したのだよ!」
「随分と眠っていたわね。まぁ仕方ないわ、あなたのひとつおぼえ消耗が大きそうだもの」
白兎、フォルナ、そして少女になったグッピー。三人が、ライライラを取り囲んでいました。さっきまで話していた(或いは、会話ではなかったのだろうか)自分にそっくりな少女の姿は見当たりません。仰向けの視線の先には、背の高い植物とヒラヒラと泳ぐグッピー達の姿が見えます。空は明るく、上も下もよくわかる空間です。
「あれ、私、気絶してたの?」
「そうなのだよ! ずっと待っていたのだよ!」
三人の顔を見て安心したライライラの頭から、さっき出会った自分にそっくりな少女の記憶が静かに消えていきました。それは、まるで水に溶けていくかのようで――――。
「あの、えっと、あなたが私を助けてくれたって聞いたんです、あの痒い病気から」
ライライラの手をとったのは、グッピーの少女です。
「うん……よかった。ほんとに」
「あ! 他に病気のグッピーはいた? いるんなら私がなんとかしない……と……」
勢いよく上体を起こそうとしたライライラの頭の中身が、嫌な動きをします。まるで、分厚く重たい本を閉じた時に発生するポフンという風のような、一気に居場所を奪われた空気の移動による――そんな、唐突な揺れ方をした頭を地面にぶつけずに済んだのは、白兎とグッピーの少女が支えてくれたおかげ。そっと降ろされた頭と地面が、カサと髪を動かした音が聞こえます。
「経験則だけど、多分大丈夫よ。ただ安心はできないわ。見えない状態でいる可能性は高い」
「そっか。なら、ここにとどまって……」
「ライライラ、僕はそれには反対なのだよ」
「え、なに言ってるんだよ? 私のひとつおぼえなら、助けられるのに」
白兎の重い口調に、ライライラは思わずそう言ってしまいました。
「違うのだよライライラ…………この世界のあちこちで、白い病が起きているはずだ。だから僕と旅をして、今、白い病に苦しんでいる魚たちを、見つけて治してあげてほしいのだよ」
「…………」
しばらく黙ったあと、ライライラはゆっくり上体を起こしました。まだフラフラしているその体を、白兎とグッピーの少女が再び支えます。
「そっか、なら急いでまわらねぇとな! もっとこの能力にも慣れねぇといけねぇし」
強い言葉でそう言ったのは、自分を奮い立たせるため。でも足に力が入らず立ち上がれなかったので、ライライラは真剣な顔で、座ったまま足を伸ばしたり、曲げたりを繰り返すことにしました。少しでも早く歩き出すために。その様子を見て「帰還条件は後回しでいいのかしら?」と思ったフォルナでしたが、ライライラの様子を優しく見つめるだけで、伝えることはありませんでした。
【010】第四冊一章 ヌードルラーメンコリドラス おわり
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