第一部 アクアリウムの白
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【013】第五冊一章 ISOぶち上げヘロゲネス
ライライラたちはコリドラスが消えていった物陰へと向かいます。そこにあるのは傘にできそうな大きさの濃い緑色の葉をもった、大木でした。その大木は、太い根がむき出しになり持ち上がったかのような姿で、真下に影の落ちる暗がりがあるのです。まるで、木の洞窟。背丈に勝る横幅を持つその姿は、とても迫力がありました。
「コリドラスに夢中で気にしてなかったけど、すっげぇ木だな。これ名のある霊樹かなんかか?」
「これは流れてきた枯れ木なのだよ」
「いや、こんなでけぇ木流れて……ああ、私が小さいんだっけ。でもさ、葉っぱ生えてるから枯れてはいねぇだろ」
「葉っぱはこの木に住んでるだけだ」
よく見ると、その葉の根本には太い軸のような部分があり、そこから伸びている根ががっしりと木に食い込んでいました。白兎の言うとおりであれば、これは大木の葉ではなく、大木にとりついた別の植物であるということになります。
「ふぅん。そういうのもあるんだな。っていうかさ、こんなところに入っちゃて大丈夫か? いきなり襲われたりしねぇの?」
「ちょっと、怖いです」
ライライラは強気な口調で怖がり、ニジカは素直に怖がっていました。
「まぁ、大丈夫だと思うわ。多分この水槽はコリドラスのコレクション水槽だから。攻撃的な混泳魚はいないんじゃないかしら」
「なんだよこんえいって。根源術式の親戚か? 私あのへんの魔術詳しくねぇんだよなぁ、半分伝説みたいなもんだし」
「ほら、見てみなさい。静かにね」
「ったく。人の話聞けよ……うわぁ、すごい」
フォルナの指差す暗がりを見て、ライライラは思わず声をあげてしまいました。なぜならそこにはたくさんのコリドラスがいて、みな同じ方向を向いてじっとしていたからです。
「こうやって並んでるの見ると、けっこう模様とか形違うんだな。あ、あいつ猫みたいな目してる」
「あれはアルマートゥス、あらオガワエもいるじゃないの」
ライライラたちはコリドラスを驚かさないように小さな声で喋ります。
「白点病の個体はいなさそうね」
「白点? 白兎が言ってた白い病とは違うやつか?」
「そう。白い病のこと。まあ、それでいいわ。統一しましょう」
コリドラスを驚かさないように静かにその場を離れてから、話を続けます。
「どうしてわかるんだ?」
「あくまで予測だけど、この水槽には持ち込まれていないわ」
「持ち込み……あれか、風邪とかが伝染るみたいな」
「そうね、細かい話はあなたには難しくて理解できないかもしれないから、そんなところでいいわ」
「ぐぬぎー! あっ……」
「お、それ、ひさしぶりなのだよ」
久しぶりにライライラがぐぬぎーと言ったので、白兎は嬉しそうな顔をしています。大きな声を出してしまったことに、しまったという顔をしたライライラでしたが、再び暗がりを覗き込みに行くとコリドラスたちは特に驚いた風もなく変わらない様子だったので、ほっと胸をなでおろしました。
「でも、白い病が伝染るなら、私が来たら、だめなんじゃないでしょうか」
心配そうな顔で言うニジカに、フォルナは優しくほほえむと、キィッと音を立てあの透明の壁を出現させてみせました。手のひらに乗るくらいの、とても小さなサイズで。
「私のひとつおぼえは、この世界の水槽間を隔てる壁と同じ性質を持つ。だから、だいたい性質は理解しているわ」
ガラスでできているかのような四角い透明の板は、スルリとフォルナの手をすり抜け地面に落下してしまいました。まるでフォルナの手がそこに存在するという事実を無視するかのように。
「見ての通り人は通過できる、というより触れられない。正確に言うならば、人だけでなく人の持ち物も含まれるわね」
「ん? ちょっとまてよ。なら病気もついてくるんじゃ……」
そう言いかけたライライラが黙ったのは、ニジカの前で失言してしまったと思ったからです。
「白い病は魚の病。しかもあれは体表につく。つまり、ヒトガタになった時点で体から離れているはずよ」
「えっと……それは、白い病は一緒に来れないということですか」
「そう。あなたから剥がれた白い病は、今も私の作った箱に閉じ込められているはず。それに、仮に私達に付着していたとしても、壁を通過する時に落ちるはずよ。服やカメラが通過している以上、人の病は通過してしまうかもしれないけど、魚のものであるなら阻む。その可能性はかなり高いはずだわ」
「そうですか」
ニジカは理解したのかしていないのか。ちょっと曖昧な様子でしたが、落ち着いて説明するフォルナの態度に安心感を覚えたようです。
「さて、次にいくわよ」
「ああ。次も美しい世界であるといいな。そう思わないかね、ライライラ」
「うん。ニジカにも綺麗なものをいっぱい見せてあげたいよな。この世界には、なんだかんだ私も感動してるし。今思うとあの透明の魚も面白かったしな」
「ペルーグラステトラのことかね?」
「うん。それそれ。ほら、いくよニジカ」
ライライラは手を伸ばしニジカの手を取ると、歩きはじめます。
「なぁ。ニジカはさ、これから何がしたい?」
「私は、ライライラさんといたいです」
「そっか、なら一緒にいよう」
「僕もいるのだよ」
そんな話をする一同の前に、スッと壁が現れました。透き通った壁の向こうに見えた魚に、ライライラの顔色が変わります。
「うわぁ! すっげぇ! なんだあの魚! でけぇし丸いぞ! しかもめっちゃ綺麗だ。王様か? 魚の王様なのか? いきなり綺麗なのきたなぁ! よかったなニジカ」
ライライラが両手を広げても足りないくらいの、大きな魚。横から見ると丸いのに、前から見ると意外と厚みがない。そんな円盤を縦向きにしたような体を持つ、味わい深い色彩の魚がいました。黄色っぽい地肌の上に不規則に走る水色の歪んだボーダーがあり、それが、角度によって紫っぽく見えたりするのです。
「色も形もおしゃれすぎるだろ……やっぱり王様だよ。そう思わないかニジカ、すげぇ綺麗だ」
「青いのは、グッピーみたいだなって思います」
水色のボーダーにストライプ模様が重なっているのですが、目にかかる部分と体の真ん中だけが濃い黒色で、あとは淡くなっています。その、あまりにも繊細かつ大胆な様相にライライラは興奮を隠せません。
「しかし薄い体だな。一匹二匹じゃなくて、一枚二枚って数えたくなっちまうぞ」
ゆったりと優雅に中空を泳ぐその魚は、十匹ほどの群れを作っていました。
「この水槽は外から観察しましょうか。念の為」
「えー! なんでだよ。もっと近くで見たいんだけどあの魚」
「でも、あれヘッケルよ。ニジカにはペーハーが低すぎるかもしれない」
「なあフォルナ。そろそろ自分しか知らない言葉でしゃべるのやめなよ。会話にならねぇぞ」
「あら、学習したのね」
「いや、おまえがしろよ」
フォルナは諦めて、今話したことを丁寧に解説……すると思いきや、そのまま一人で壁をこえ向こう側の水槽に入ってしまいました。
「おい、ずるいぞ! あれ、おかえり」
と思いきや、すぐに踵を返し戻ってきました。
「うん。やっぱり向こうはペーハーがだいぶ低いわ。ニジカはヒトガタになってるし、今までの様子を見るとショックは軽減されているようだけど……念の為やめといたほうがいいわね」
「だからわかんねぇって!」
「まぁ、簡単に言うと魚はペーハーに差があると……そうね、こういう言い方が通じないのよね。魚はね、水槽がいきなり変わるとびっくりしすぎて大変なことになる場合があるのよ」
「そっか。壁を魚が通れないって、意外と大事なことなんだな。よし!」
感心するライライラはニジカの手を離すと、一人で壁の向こう側へと行ってしまいました。
「わかんねぇ!」
戻ってきたライライラは悔しそうにそう言います。
「なにが?」
「私も向こうに言ってみたらヒーハーがわかると思ったのに! どうしたらわかるんだよ!」
「まぁ、経験と肌感覚としか。あと、ヒーハーではなくペーハーよ」
「ぐぬぎー!」
「出た! ぐぬぎーなのだよ!」
「ずっと黙ってたくせにうるせぇよ!」
結局一同は、フォルナがヘッケルと呼んだ魚達のいる世界には進まず、別の方角に向かうことにしました。
「私、いつかペーハー大丈夫になるでしょうか」
「なるんじゃないかしら。だんだん人間っぽい表情になってきたし、現に水槽を難なくこえているのだから」
「そうですか」
そう言ったニジカは、本当に心の底から嬉しそうな笑顔を見せたのです。今までよりもずっとずっと、自然な笑顔を。
「なら、大丈夫になったら一緒にヘッケルの水槽行こうな!」
「はい!」
笑顔のままで。
「僕もついていくのだよ!」
「はい!」
本当に嬉しそうに。そこには、とても幸せな時間が流れていました。
【013】第五冊一章 ISOぶち上げヘロゲネス おわり
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