アクアリウムライライラ
第一部 アクアリウムの白
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【014】第五冊二章 ASAぶち上げマーブルリーフ

 別の方角で見つけた壁をこえて、次の世界に入ったフォルナは声にならない声を上げました。蚊が耳元で飛んでいるかのような、そんな声です。

「どうしたんだよ。音波みたいな声出して」
「静かに。寝ているわ」
「魚なんてどこに…………え? あれが魚?」

 指を差した先、まるで人のように横になっている茶色い魚がいました。大きさはライライラの足の長さより少し長いくらい。魚だと教えられなければ、細めの枯れ葉にしか見えません。

「なんだよあれ……本当に魚か?」

 ライライラが小声で聞きます。

「ヘロゲネスよ。しかも何匹もいるわ。最高ねここは、脂ビレのないタイプかしら?」

 そっと静かにカメラを構えシャッターを切ります。

「ヘロヘロゲネス?」
「わざと間違えるのはやめなさい」

 静寂の中で聞こえる、小さなシャッター音。しばらく撮影した後、昂ぶる心を抑えるためにスーハースーハーと呼吸を整えるフォルナの様子を見て「しばらくそっとしておいてあげよう」とライライラは思いました。

「魚って横になって寝るんだな」

 その代わりに、白兎に話しかけます。

「そういう魚もいるのだよ」
「そっか」

 白兎が魚に詳しいのは、きっとこの世界で長いこと修行をしていたから。ライライラはふと、そんなことを思います。

「そういえば白兎のひとつおぼえってなんなんだ?」
「僕のひとつおぼえ?」
「まだ見つけられてないのか? おまえだけのすごい能力」
「僕は魚と話ができるのだよ」
「え、すげっ……」

 ライライラは焦った顔で自分の口を押さえました。大きな声で、ヘロゲネスを起こしてしまわないように。

「それ、やばいじゃん……あ、ってことは…………」
「どうしたのかね?」
「つらい声も聞こえちゃうのか」
「それは人間の声だって一緒だろう? 僕は魚とも人間とも語り合うことができる。そういうことなのだよ」

 落ち込むライライラの頭に手を伸ばした白兎でしたが、恥ずかしかったのか触れることなく引っ込めてしまいました。

「あの、私も聞こえます。魚の声。全部じゃないけどグッピーの声ならちゃんとわかります。言葉じゃなくても感じられるし」
「そっか、ニジカ元魚だもんな。うーん、ってことは白兎のひとつおぼえはそんなにレアじゃない?」
「失礼なのだっ……」

 ちょっと大きな声を出してしまった白兎も、焦って口を押さえます。

「いい心がけね。まあ、ぐっすり寝てるようだから大丈夫だとは思うけど、念の為静かにしておきたいわね」
「そういうもんなの?」
「ええ。私もヘロゲネスは飼ったことないから、詳しくはないけど。まあ、そういうときこそ慎重になるものなのよ、アクアリストはね。そうね、振動もあんまり与えたくない気がするわ。じっとしていましょう、ヘロゲネスが起きるまで」
「それがいいかもな」

 一同は静かに座り込み、ただただヘロゲネスが起きるのを待つことにしました。

 

 

 

 小声で話したり、なにも泳いでいない空を見上げたり。

「そういえばさ、眠くもならねぇのなこの空間。魚は寝てんのにさ」
「ずっと修行するためでしょうね。この壺を考えた人物は、相当なものね」
「壺? 水槽だろ?」
「あらごめんなさい、間違えたわ。ボトルアクアリウムってのがあってね、ふふっ、あれも壺じゃないわね」
「一人で会話するなよ……うわっ!」

 突然あたりが真っ暗に。見えない見えない、何も見えません。

「なんだこれ! なにこれっ!」
「夜よ」
「いきなり暗くなるのはおかしいだろ!」
「だいたいそんなものよ」
「そんなわけ……」

 暗くなったせいでなにも見えなくなってしまったと思ったライライラでしたが、意外とそんなことはないと、すぐに気がつきました。背にしている透明の壁の向こうはまだ明るく、その光が届いていたからです。

「久しぶりに夜を見たのだよ」
「なんか私がいたところより、夜になるのが早い気がします」
「二人がそんな感じってことは、ここの夜はこんな感じってことか。びっくりするなぁ、もう。うわっ、なんだ今の音……ああ、フォルナか」

 カシャと暗闇に響いたのは、カメラのシャッター音でした。音量は変わっていないのに、暗いほうが大きく聞こえる気がするのはなぜだろう……ライライラは腕を組んで考えましたが、結論が出ないのですぐに考えることをやめました。

「なに撮ってんだよ、真っ暗じゃねぇか」
「ヘロゲネスが起きたのよ。ほら」

 壁越しの明かりを頼りに見上げると、上の方でぐるぐると泳ぎ回るシルエットが見えました。

「あれがあの寝てたやつ? めっちゃ泳ぐじゃん」
「ええ」

 フォルナは何度も何度も、シャッターを切ります。

「あれ、なんかカメラの音ちがくね?」
「ええ、ちょっと速度が出ていないわ。ISO感度を上げなきゃ」
「またよくわかんねぇことを。でもすげぇな、そのカメラ暗くても撮れるんだな……な、なんだよ」

 ライライラが一歩下がったのは、突然フォルナがこっちを向いたからです。その顔は見事なまでの笑顔でしたが、横から当たる光のせいで妙に恐ろしく見えました。

「このカメラはね。ISOを爆上げできるし手ブレ補正も強力なの。加えてこのレンズはF1.4とかなり明るい。焦点距離は50mm、このカメラはAPS-Cだから実質76mmちょっとなんだけど、すごく解像感の高い画像が撮れるからかなりのトリミングにも耐えるわ」
「いや、だから私が知らない言葉ばっかりつかうんじゃねーって。全然わかんねーよ」

 いつもにましてわけのわからない単語を並べ、さらに早口でしゃべるフォルナにライライラはタジタジです。

「流石にこれだけISOをあげてしまうとザラついた絵にはなるけど、このカメラならディテールはしっかり残る。だからこういうシチュエーションでも活躍してくれるのよ。それにね――――」

 今すぐ聞き役を誰かに変わってほしい……そう思ったライライラでしたが、白兎とニジカはぼんやりとヘロゲネスたちを見上げていて、こちらをまったく見てくれません。

「と、まぁ、あなたに話してもわからないわよね」
「う、とにかくいいカメラだってことは分かった気がするよ。見た目すごくかっこいいし、私は好きだな」
「そう。ならこれ、あげるわ」
「え?」

 突然、カメラを首にかけられたライライラはどうしていいかわかりません。

「これ、大事なものなんじゃないのか?」
「嘘よ、あげないわ。大事だもの」
「なんなんだよもう!」

 すぐにカメラを取り上げたフォルナは、それからしばらく夜闇を泳ぐヘロゲネスの写真を一生懸命撮り続けていました。

「いい? 覚えときなさい? できるだけ明るいところに来た瞬間を狙ってシャッターを切るのよ。できるのであれば、置きピンでもいいけど」
「知らねぇよ! そんなこと言うならせめてカメラ貸せよ!」
「いやよ」
「なんなんだよ!」

 それからフォルナは無言で写真を取り続けていました。

 

 

 

 あれから何枚撮ったのか。写真を確認するために背面モニターを真剣な顔で見つめたフォルナは「まぁ、こんなところかしら」とつぶやいて……それからさらに数枚写真を撮って…………また確認して、それからさらに数枚撮って確認した後、ようやくライライラたちの方を向きます。対するライライラは疲れた顔。最初のうちは、モニターの光に映し出されるフォルナの顔が恐ろしく、それを茶化したりしていたのですが、もうそんな元気はありません。

「ライライラ、あなたにはこの暗い中進むのは無理でしょう?」
「いや、誰だって無理だろ」
「見た感じ、ヘロゲネスは元気みたいだし。明るい方へ行きましょうか」
「うん、それがいいかも……んんっ、ようやく動けるのかよ。はぁぁ」

 背伸びをしてから、深めのため息を。 

「あなたも撮影すればよかったじゃない」
「今スマホ持ってねぇんだぞ!」
「あなたのスマホカメラ、そんなに夜に強いの? 相手は動きモノよ?」
「私のスマホは戦わねぇよ!」

 そうして夜と昼の境をこえ、ここに来る前にいた世界に戻りそこから歩いて別の世界を目指します。

「意外と白い病は広がってねぇみたいだな。よかったよ」
「うん。僕もそう思うのだよ、もしかして、だいぶ少なくなったのかもしれない」

 しばらくすると、行き先に壁がスッと現れました。向こう側にあるのは黒っぽい石だらけの大地。ライライラがかつて、壁を蹴飛ばそうとして倒れ込んだあの場所によく似ています。

「あっちはまだ昼みたいなのだよ」
「あれ……なんか、あそこ……私、知ってます」

 透明の壁越しに見えた世界に向かい、ニジカは一人走り出してしまいました。

 

 

 

【014】第五冊二章 ASAぶち上げマーブルリーフ  おわり
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