第一部 アクアリウムの白
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【016】第六冊二章 絶望の深度
壁に近づくと、フォルナの言う通り壁が二枚あることがわかります。浅い角度をつけられたそれは、間に僅かな隙間があるのです。ライライラはそれを見て、かつて落として壊してしまった万華鏡を思い出しました。きらびやかな中身を失い、ただ、幾何学的な反射がそこにあるだけ。
「ここをこえたら、当分ニジカには会えないわ」
ライライラと白兎は大きく大きく息を吸い込むと、とても大きな声でニジカに向かって叫びます。
「絶対戻ってくるからね! ニジカ!」
「待ってるのだよ! ニジカ!」
ニジカは「はい!」と大きな返事を返し、それを聞いた二人は勢いよく壁に飛び込んだのです。
それから三人は、歩きながら白い病について話し合います。
「僕の知っている白い病は、あんなにひどいことにはならない」
「ええ。全滅もありうる病気だけれど、なにか違和感がある。あなたの言う通り、普通より深刻さを感じたわ。誰かが白い病を強化しているとしか思えない」
ライライラが認識していた死体は、十かそこら。でも実際にはもっと――――――――冷静さを取り戻し始めていたライライラは少しずつその現実に気がつき始めていました。
「許せねぇ…………なんだよ、フォルナ」
怒りに満ちた瞳のライライラの頭に、フォルナが静かに手を置いたのです。
「怒りに飲まれてはだめよ、ライライラ。ニジカが望んだことはそういうことじゃない。この旅は復讐ではなく、世界を救うためにあると思いなさい」
「…………だって」
「だってもなにもないの。次にニジカみたいな子と出会った時もそんな顔をしているつもり? 笑顔で……あなたに笑いかけてくれる子がいても、心の中で怒り続けているつもり?」
「……だって」
ライライラの声はどんどん小さくなります。
「つらい現実を知った時、それを知らないような顔で笑うのはとてもつらいことだわ。でも、そういう時にあなたが笑えなくなったら、ニジカは嫌だと思うの」
「だって」
泣きそうな顔で、スカートをつかみ下を向きます。ニジカはお墓を掘り続ける、自分と同じグッピーの。その様子を想像すると悲しくて、悲しくて悲しくて、しかたがないのです。
「ライライラ。今すぐ強くなれとは言わないわ。今すぐ割り切れとも言わないわ。むしろ、そのままでいい。でも、そのままでもいいから美しいものを美しいと、素晴らしいものを素晴らしいと思う心を忘れないことよ」
「そのままでもいいから忘れないってどういうこと……」
「それなら僕にもわかるのだよ! ほら、ライライラ上を見たまえ!」
白兎の声で空を見上げたおかげで、涙はこぼれずにすみました。そこを泳いでいたのは、グローライトテトラ。まるで、体の中に温かい光を閉じ込めたようなその体で、とても気持ちよさそうに空を泳いでいます。その数は、ひと目では数えられないほど。全部で五十匹はいるでしょうか。
「綺麗」
「そう、その気持ちをまたニジカと共有するために。私達は行くのよ」
「うん、わかった。ありがとうフォルナ、白兎………は? ええっ?」
突然物音が近づいてきたので急いで空に向けていた目を下ろすと、ライライラに向かってものすごい勢いで向かってくる白い塊が見えました。
「うわっ!」
「うわあ!」
ぶつかられたライライラと、ぶつかってきた白い塊が同時に声を上げます。
「お、おまえ……誰だよ」
「お姉ちゃんこそだあれ?」
それは、可愛らしい白髪の少女でした。そう背が高くないライライラよりもさらに頭二つ分くらい小さく、幼い少女です。
「おい、これおまえの妹か?」
「いや……知らないのだよ。多分、知らないのだよ」
白髪にピンク色の瞳。どことなく白兎を彷彿とさせるその姿に、ライライラは尋ねます。
「めっちゃ似てるぞ……。なぁ、おまえ、誰だよ。名前は?」
「わかんない」
「うーん」
「私も名前ほしいよぉおお!」
「おい、泣くなよ!」
少女がいきなり泣き出したので、ライライラは大慌てです。
「とりあえず、なんか名前つけてあげたら?」
「うう……そうするのがいいのか?」
わんわんと大声で泣き続ける少女のために、ライライラは必死に名前を考えます。
「椿、白椿ってどうだ? 白いし、その綺麗な髪の毛椿の花びらみたいだし」
「結局僕の妹みたいな名前をつけるのだな君は……」
「まぁ、いいじゃねぇか。よく似てるんだし。なぁ、白椿、だめかこの名前じゃ?」
頭の中にニジカに名前をつけたときのことが、ふと思い浮かびました。その名前の由来となった、虹に華。椿とつけたのは、その華に繋がりを持たせたかったからかもしれないと。
「だ、だめかな?」
いつの間にか泣き止んで静かになっていた少女に、再び尋ねます。
「僕に似た名前をつけてだめかなって、失礼なのだよ」
その時です。少女がとても可愛らしい声で「うふふ」と笑ったのは。そして顔をパッとあげると――――。
「しろちゅばき! ちゅばき! やったー!」
「あ、おい!」
まるでさっきのはただの嘘泣きであったとでも言わんばかりに、大喜びでどこかへ消えてしまったのです。
「あんなガキもこの世界に来てるのかよ」
「あなたもガキじゃないの」
「魔導の才能なんて生まれた時にほとんど決まるんだから、そんなの普通だろ!」
「ええ。ならあのくらいでも普通じゃないかしら? 魔導学院にもあなたより小さい子たちのクラスがあるでしょう」
「たしかに、たしかに。うん、たしかにそうだな」
思い出すふりを長めにしたのは、ニジカのことが頭から離れないから。
「ええ。本当に普通のこと。普通のことよ……まぁでもよかったわ」
「なにが?」
「あなたとか白兎とか、あんなちんまいのとか。そんなちびっ子魔導士を何人も送り込んでいる時点で、この世界にいる敵はそうやばいものではないってことでしょ?」
「そっか?」
「普通はそんな危険なところに子どもを送り込まないわ。そうでしょう?」
再びたしかにと頷き、ライライラは思い出します。この世界に来るためには、誰かに送り込まれなければならないというルールを。
「さて、少しは落ち着いたようね。今の子もいいタイミングで現れたわ。ライライラの気持ちを落ち着けるために、名前を欲しがったみたいね」
「あ……うん。なんかいろんなもんが私にがんばれって言ってるのかもな」
「ええ。そのくらいの気持ちでいれば、見誤らないと思うわ。感動したり楽しむことは、悲しみを冒涜することではないのよ」
「うーん、なんか難しい話だけどわかったよ。私が元気で、綺麗なものを綺麗だと思えないと、ニジカも悲しいってことだろ」
「そう。がんばったわね、ライライラ」
ぽん、とライライラの頭に手を置いたのはフォルナではなく白兎でした。
「な、なんだよ」
「君が悲しいと僕も悲しいのだよ」
「ありがと」
白兎の真剣な顔に、涙が、目の奥に帰っていくような気がしました。
「さて、行くわよ」
「どこに?」
「さあ。とりあえず行き先がわからなくても歩くしかないわ。今は少しでも情報を集めないと」
「それなら、長生きする魚のところへ行くのはどうかね! 長生きする魚はいろいろ知っているのだよ!」
白兎は、あっちの方角だと指差しながらそう言ったのです。
【016】第六冊二章 絶望の深度 おわり
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