アクアリウムライライラ
第一部 アクアリウムの白
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【017】第七冊一章 ユッグドラシルフィッシュ

 白兎の目指した目的地は、壁を何枚もこえ、様々な水槽世界を抜けた先にありました。

「いろんな魚がいるんだな」
「うん、いるのだよ」

 ここに来るまでにいろいろな魚たちを見ました。石の間に挟まっている魚、ニョロニョロとした縞模様の魚、ネオンテトラによく似ている魚、名前も知らない魚、名前を教わった魚………。その全てが生きていて、そして素敵なものであるとライライラは感じていました。その一つ一つを、ゆっくり思い返してみたい気もしましたが、今はそれどころではありません。この壁の先にいるという、長生きする魚に会いに行かなければならないのです。

「ライライラ、失礼がないようにしたまえよ。彼は百年以上生きている」
「うん、わかった。って百年! 魚ってそんなに生きるの?」
「ああ、長生きする魚だからね。百年をこえるのだよ」

 壁をこえてしばらく歩くと、まるで飛行機の胴体部分のような大きさの、太い太い、あまりにも太い、太すぎる丸太が転がっていました。ここに来るまで、何度も大きな木を見ましたが、そのどれよりも大きい木です。全力で走っても、端から端までいくのにすごい時間がかかりそうなくらい長く、そしてはしごを何本かつぎたしても上に届かないくらい太い。本当に大きな大きな丸太です。

「ほへー、ユッグドラシルかよ。でも、すげぇでけぇけどでけぇだけだな。葉っぱもついてねぇし……」

 その木は、洞窟のような構造を持つわけでもなく、上に向かって伸びるわけでもなく。切り倒された木のようにゴロンと横たわっているだけでした。しかも枝らしきものが見当たりません。異様に巨大で見事な、ただの丸太です。

「こういうのをウドの大木っていう――痛っ! なにするんだよ白兎!」
「失礼がないようにと言ったではないか! 冗談を言えるようになったのはよいことだけど!」
「なぁ、怒るのか慰めるのかどっちかに……んあ? ひっ!」

 なぜ、白兎が怒ったのか。その理由を知った瞬間ライライラはペタンと座り込んでしまいました。

「ひ、ひ……ひ」
「こんにちは、ごきげんいかがかね、ネオケラトドゥス」
「しししし白兎! そそそそそんな口調で話しかけたら失礼だろ!」

 ライライラが怯えるのも無理はありません。目の前の巨大すぎる丸太は、魚だったからです。大きな鱗が並ぶ、暗い色の体。驚きすぎて閉じられなくなってしまった瞳でじっと見てみると、伏せられてほとんど見えない腹側が、鮮やかなオレンジ色をしていることがわかります。それはとても綺麗な色だったのですが……だからといって恐怖が消えるわけではありません。

「ままま。待てって!」
「顔の方に行かないと話しづらいのだよ」

 ライライラを立ち上がらせてから引きずるようにして、白兎は進みます。途中で、地面にぺたりとはりつくように伸びていたヒレがあったので、それを避けるようにして回り込みます。

「でかす……」
「あたりまえなのだよ。彼はネオケラトドゥスだからね」

 一息で吸い込まれてしまいそうな巨大な口。今まで見たどんな魚よりも大きく、そして太く。ライライラの目にはそんな怪物が映っています。

「これはネオケラトドゥスという魚よ。こうしてみると大きいわね、食べられちゃいそう」
「た、食べるのか! 私、たちを!」
「大丈夫よ。この世界に食欲はないって忘れたのかしら? ああ、でも本能で……ガブリ! ってくるかもしれないわね」 

 フォルナが「ガブリ!」と言ったタイミングでライライラは目をぎゅっとつむり、それからボロボロと泣き出してしまいました。

「ライライラ、大丈夫なのだよ。ネオケラトドゥスは僕たちを食べる気はないって」
「うう……よかったぁ。ネオケラトドゥスさんありがとう」
「でもライライラは美味しそうだって言ってるのだよ」
「ええ!」
「安心したまえ、ただの意見だそうだ」

 ライライラはもうどうしていいかわかりません。その結果、涙を止めてニヘラニヘラと、不自然にネオケラトドゥスに笑いかけることになってしまいました。

「ところでネオケラトドゥス、白い病が強くなっているのを知っているか」

 ネオケラトドゥスの声は聞こえません。口を開いたり閉じたりしないので、喋っているかもわかりません。

「なるほど、白い病に対抗できるものはこの世界にあるのかね」

 ネオケラトドゥスはじっとしているだけです。

「わかった。ありがとう」

 白兎が一人で喋っているようにしか見えない。そんな様子を眺めていたら、突然ネオケラトドゥスが頭を起こしました。

「ぐぬぎゃー!」 

 ライライラは頭を抱えてうずくまります。ネオケラトドゥスに食べられると思ったからです。

「大丈夫なのだよライライラ。上を見たまえ」
「ぐ……ぬぎす……」

 恐る恐る見上げてみると、ネオケラトドゥスが空に向かってその巨大な体を伸ばしていました。その体の重さなど、存在しないかのように。

「ユッグドラシルだ……」
「さっきも言ってたけど、それはなんのことなのかね」
「すごい木のことだよ。私もよくわかんないんだけどさ、きっと、こういうのがユッグドラシルなんだよ」
「うむ、たしかにネオケラトドゥスはすごいのだよ」

 怖がっていたはずのライライラは、その荘厳さに目を奪われていました。体をおこしたおかげではっきり見えた、鮮やかなオレンジの腹部。そしてゆったりと、時間の流れを落ち着けるかのような動きで、空へ向かい伸びるその姿。

「これは感動するわね。百年以上生きているだけあるわ」

 フォルナもじっとその姿を見上げます。

「うん、すげぇ……」

 しばらくすると、ネオケラトドゥスは静かに元いた場所へと降りてきました。その巨体でライライラたちを脅かすことはなく。

「なぁ、なぁ、今、なんで上にあがったのかな? 聞いてくれよ白兎!」
「う、うん。ネオケラトドゥス、今なんで上にあがったのかね」

 興奮気味のライライラに代わって、白兎が聞きます。

「へぇ、同じ言葉を使っているのに白兎の言葉じゃないと理解できないのね」

 と、感心したかのようにフォルナが言います。

「ただ上がって下がってをしただけだそうだ。呼吸はほとんどエラでしてるから、期待させて申し訳ないと」
「よくわかんないけど、なんかすげぇ気がする!」

 ライライラはネオケラトドゥスを気に入ったようです。堂々たる姿への感動、そして、よく見ると笑っているかのような優しい顔をしていることに。

「あ。そうだ白兎。ネオケラトドゥスさんにもう一個聞いてくれないか?」
「構わないが、なにかね?」
「私がもっとたくさんの魚達をヒトガタにできるようになるためには、どうしたらいいかって」
「わかったのだよ。ネオケラトドゥス、どうすればひとつおぼえは強くなるのかね」

 ライライラはずっと考えていたのです。白い病から守るために魚たちを全てヒトガタにすればいいのではないかと。でも、ニジカの時はたった一回で気絶してしまったので……。

「繰り返すこと、あと強く使うこと、らしいのだよ」
「なるほど。魔術の修行でもあるなそういうの。あ、もしかして強くって、大きい魚をヒトガタにすればいいのか? そうだ! ネオケラトドゥスさんをヒトガタにすればいいんだ! 白い病にもかからなくなるし! 名案じゃないか? なあ、白兎聞いてくれよ!」
「うん、わかったのだよ」

 それから白兎はまたネオケラトドゥスに話しかけましたが、しばらくするとちょっと残念そうな顔になってしまいました。

「なんて?」
「今のライライラに大きな魚をヒトガタ化するのは無理だって。あとできたとしても、このままでいたい……と、言っているのだよ」
「そっか。でもいいのか? 白い病は強くなってるんだろ? じゃあネオケラトドゥスさんみたいな大きな魚だって……」
「百年以上ずっと同じだったから変わりたくない、とのことなのだよ」
「そっか」

 ライライラはそれ以上、なにか質問をしたがることはありませんでした。

 

 

 

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