アクアリウムライライラ
第一部 アクアリウムの白
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【020】第八冊一章 弾丸パニエ

 ライライラは声をあげることができませんでした。現物を見るのは初めて、でも、マリーの手の中にあるものがなんという名前のものであるか、そしてどのようなものであるかを、よく知っていたからです。

「撃っちまったじゃねぇかぁ……」

 拳銃を持っていない方の手で、ポリポリと頭を掻いたマリーはフォルナの頭を踏みつけます。

「弾一発しか持ち込めなかったのによぉ! おら、どこにヒットしたんだよ? うつ伏せじゃわかんねぇだろ。貫通してねぇってことは内臓ぐっちゃりかぁ?」

 マリーがフォルナのこめかみを強く蹴り上げると、首が嫌な方向を向きます。

「もう一発強めになぁ! これで私の勝ちだ! これで勝ち点三だな、ははっ! 最高の開幕戦だ!」

 跳ね上がった頭に上半身が続いて少し浮き上がったかと思うと、すぐに、落ちていきました。その様子から、フォルナの意識が完全に切れてしまっていることがわかります。

「し……白兎…………フォルナ……血が出てる」
「う……うん」

 うつ伏せのフォルナの体の下でじわじわと広がっていく血が見えにくいのは、下が真っ黒の床だから。

「殺しとくか。いや、そこまで言われてねぇしなぁ……殺すのはまずいのかぁ? うーん、まぁいっか!」

 その「まぁいっか」がどちらを意味するかわからない。それに気がついたライライラは思わず一歩踏み出しました。

「なんだよクソガキ」
「あ……あの」
「なんだよ」

 味わったことのない種類の重圧感。今まで多くの大人から感じてきた子ども扱いにも似た許容は、一切感じません。

「おまえ……じゃなくて、あなた、む、無理して強い言葉喋ってますよね」

 ライライラは、自身の黒いエプロンを強く握りしめ、萎縮してしまいそうな心を奮い立たせました。

「煽るねぇ」

 しばらくの間。じっとりと交わった視線に、ライライラの足が震えます。

「ガキのくせに自分を標的にして大人を守ろうとしてんのかぁ? なぁ、私がそんな浅はかな罠に引っかかるやつに見えるのか? なぁ! 言ってみろよなぁ! 私が引っかかりそうに見えんのか? なぁ! 私が、お前を気にしてフォルナから目を離すとでも思ってんのかって聞いてんだよ! なぁ!」

 どんどんと大きくなるマリーの声。畳み掛けるような怒声に、ライライラは言い返すことができません。

「びびって声出せねぇんだったら最初から絡んでくるんじゃねぇよ! わかったか! なぁっげほっ、げほっ」

 気管につばでも入ってしまったのか、マリーがむせた瞬間にライライラは大きく息を吸い込みました。そして――――。

「う……うるせぇえええええ!」

 と、マリーの怒鳴り声よりも大きな声を出したのです。

「お? おお? おおお?」
「お、おまえのしゃべりかた、私とちょっとキャラかぶってんだよバーカ! ばかばかばかバカバカバカ!」

 突然の反撃に、マリーはキョトン。その隙に、今度はライライラが「バカバカバカ」と畳み掛けます。

「お……おお……。ん? でもよぉ、私のほうが先に生まれてんだけど? なぁ? 順番から言ったらかぶってんのはてめぇじゃねぇの? それとも前世でもその喋り方だったのか? なぁ? なら私はデボン紀からこの喋り方だ! ほら、私の勝ちぃ! ガキは知らねぇだろデボン紀なんて! はい! 私のダブル勝ちぃ!」

 削がれた勢いを取り戻すかのように、マリーが言い返します。

「う……うるせぇぞ! かぶってるからかぶってるんだ!」
「そもそもかぶっちゃいけねぇの? ああ、もしかして世界中の人に全員違う語尾で喋れって言ってんの? なぁ? なら私の名前はマリーだから語尾マリリンな? こんにちマリリン! あなたのお名前なにマリリン? かぶっちゃいけない理由を説明してほしマリリン! マリリンマリリンマリリリリン!」

 言葉がうまく出てこないライライラ。対してマリーは、どんどん饒舌になっていきました。

「うるせぇええええええええ!」
「結局それしか言い返せないマリリン? ガキは言葉知らなくて困るリン! はははっ! 私の勝ちだな!」
「うるさいうるさいうるさいうるさい! このバカー!」

 ライライラは必死です。なんとしてでもマリーの注意をひきつけて、フォルナを助けたいのです。この先、どういう手を打てば助けられるか、全く想像できていないとしても。

「おら、なんか言ってみろよクソガキ。なぁなぁなぁ! なぁ! なんでかぶっちゃいけないんですかぁ? 人間に生まれた時点でみんなかぶってんじゃないですかぁ? 魚も魚って時点でかぶってるよなぁ! 魚と人間も生きてるからかぶってんなぁ? お? 生き物全かぶりか?」
「うう……ネオンテトラとカージナルテトラはかぶってるけど! かぶっててもどっちも綺麗だったけど! でもおまえのかぶりかたはよくないかぶりかたなんだー!」
「ああ? ネオカジ見分けんのは簡単だろ? なぁ? 簡単な問題でマウント恥ずかしいでちゅねぇ! そんなにマウンティングしたいなら問題出してやんよ! 問題です! ステルバイとハラルドシュルツィ見分けられますかー? はい、カチカチカチカチ時間内に答えてくださーい! カチカチカチカチ」

 必死に言葉を振り絞ったのに、すぐに言い返されてしまうライライラ。でも、マリーの言った単語にライライラは覚えがありました。ステルバイとハラルドシュルツィは、少し前にみんなで見たあのコリドラスのことだと。

「も、模様が逆だし! 知ってるし!」
「ふぅん、やるじゃん」

 ライライラが正解したことを、マリーは素直に受け入れたかのように見えました。

「なぁ、クソガキ。知識自慢してくれたついでに、ひとつだけでいいから私の話を聞いてくれねぇか?」

 今までとは違い、落ち着いた声で丁寧にそう言います。

「な……なに」
「殴るぞ」

 怒鳴るわけでもなく、声が大きいわけでもなく。ワントーン低いだけの一言が、ライライラの心を砕きました。溢れる涙、震えだす体。頭は急にクラクラとし、視界の縁が歪み始めます。

「ライライラを、ライライラをいじめるな!」

 一歩躊躇してから、勢いよくライライラの前に出たのは白兎でした。

「いや、つっかかってきたのこのクソガキじゃん……まぁいいや。ガキいじめると後味悪ぃし、もうやめるわ」

 白兎に目線を移したマリーは、めんどくさそうに言いました。さっきまでライライラと言い合っていた勢いが、そっくりそのままどこかへ行ってしまったかのように。

「ま、待つのだよ! 教えてくれないか、フォルナを助ける方法を」
「教えるわけねぇだろ。今までの流れ見てねぇの? まぁ、代わりにいいこと教えてやるよ」

 背を向けて歩き出したマリーが、立ち止まり、振り返り、見下すように白兎を見つめます。

「白髪のクソガキ。守りたかったら、先に自分がしゃしゃることだな」

 そう言うとマリーは、もう一度も振り向くことなく、一言もしゃべることなく立ち去っていきました。

「あ……あ……」
「も、もう大丈夫なのだよ……」
「ああ! フォルナ! フォルナ!」

 白兎に応えることなく、ライライラはフォルナに駆け寄ります。

「ねぇ、フォルナ! フォルナ! 死んじゃったの? ねぇ!」

 体に触れていいのか、いけないのか。どうしていいかわからない。ライライラの小さな手が宙で震えています。

「フォルナ……フォルナ……ねぇ、なんか言って、生きてるって言って」
「生きてるわよ」
「ぐぬぎゃー!」
「生存を願って生きてたら驚くって、どういうつもりかしら」

 まるで目覚めのよい爽やかな朝かのように、起き上がったフォルナのお腹は血まみれ。濃い緑色のジャージがさらにその色を濃くしています。

「い、生きてたー!」
「ええ。だってこれ、ただの血糊だもの」
「血海苔?」
「まぁ、偽物の血よ。ケチャップの亜種みたいなものね」

 黒いゴムのグリップがついた手袋に血がついていないことを確認すると、フォルナはライライラの頭を優しく撫でます。

「あら、怖いのかしら?」

 身を固くして、震えないように耐えているライライラ。それに気がついたフォルナは、手を離しました。

「怖くない。だってああしないと、腕折られてたんでしょ?」
「ちゃんと話を聞いてたのね。偉いわ。でも無理はよくないわよ。私がひどい戦いを見せてしまったのは、事実なのだから」
「う……でもフォルナは私達を守ろうとしてくれたし」
「いいのよそれで。感謝と恐怖は別物。そこを混同すると、なにも言えなくなってしまうから」

 ライライラは何度もうなずき、涙を一所懸命に拭きました。

「これ……魔法で大丈夫だったの?」

 しばらくして、落ち着いてきたライライラが尋ねます。

「いいえ。この空間で魔法は使えないから、代わりにこれ」

 ジャージをめくってみせると、その下は黒いピタリとした肌着でした。

「それ、コンプレッションウェアか? そんな薄いのに、撃たれても大丈夫なのか?」
「あら、コンプレッションウェアなんて、よく知ってるわね。おしゃれとは関係なさそうな服なのに」

 肌にしっかりと密着した生地に、綺麗に六つに割れた腹筋が浮き上がっています。

「バカだなぁ。大人用のコンプレッションウェアをダボッと着てその上にオーバーサイズのカットソーを重ねてレイヤードルックにするのがおしゃれなんだよ」
「人に散々知らない単語を使うなと指摘してきたくせに、ひどい説明ね。そもそも、ダボッとしてたらコンプレッションウェアの意味ないじゃないのよ」
「おしゃれはチャレンジアレンジなんだよ」
「そういうものかしら」
「うん、伝統を守ることも大事だけどな」

 ファッションの話になり、ライライラは少し元気を取り戻します。

 

 

 

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