第一部 アクアリウムの白
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【023】第九冊二章 魔力を帯びたゴリラ with 逆様シノドンティス
「やられましたね。見えない距離で壁を出しましたか」
「うそ、フォルナ?」
フォルナがいたほうへと駆け寄ってみると、スッと透明の壁が現れます。さっきまでそこに存在しなかったはずの壁が。
「ライライラ様なら、理解できますよね。今の卑怯な逃げ方」
「……壁は近づかないと見えない。見えてない間は、向こう側は見えなくて、今いる世界がずっと続いているように見える……だから、壁が見えないくらい離れて壁を出せば…………」
その壁はちょうどフォルナが隠れるのに、ぴったりな大きさでした。
「安心してくださいライライラ様、これからは私がお供しますから」
「いやだ」
「どうしてですか? 私はあなたの敵ではありません。それにあの女は危険人物なんですよ?」
「いやだ!」
「聞き分けてください。ライライラ様」
ライライラに語りかける時は、あくまで優しくそして丁寧に。その言葉だけ聞けば、ネクロゼリアがライライラのメイドであると誰も疑うことはないでしょう。
「あ、そうそう。もう身体強化はいらないですね。ひとつおぼえは消耗が激しいですから」
ネクロゼリアの体は、もとの大きさに戻ります。それでも十分筋肉質ですが。
「ライライラ、僕がいるから。ここは言うことを聞いておこう。今だけでいい……今だけは。うん、今だけでいいんだ、僕が必ずなんとかするから、できるから……」
「白い少年、私はあなたのメイドではないので――」
「白兎になにかしたら、承知しねぇぞ」
「かしこまりました」
じゃあなぜフォルナを攻撃したのか。その言葉を、ライライラはぐっと飲み込みます。
「偉いですよライライラ様。さすが理解力がありますね。あの女は邪教聖典。犯罪者、裏切り者、極悪人ですから。なにを狙ってあなたに近づいたかわかりませんが、間に合ってよかったですよ。殺される前に」
「…………」
ライライラはなにも答えません。
「ほら、見てください。あれサカサナマズっていうんです。面白いですよね。あの魚は、背中より腹の色のほうが暗いんですよ。なんでかわかります?」
「…………」
逆さまになって泳ぐ魚を指差して、ネクロゼリアは嬉しそうに言います。
「ああ、そういえばゴリラ・ネクロ・ゼリア。このあだ名は、私がアフリカにいた時についたものなんですよ。新種のシノドンティスを探しに行って」
「…………」
「隊員がミスをして、ゴリラを怒らせちゃいまして。それを私が抑え込んで、なだめたんです。怪我を一切させずに」
「…………」
「そのゴリラが、魔力を帯びたゴリラでして。それはそれはとてもすごい力だったんですよ。だから、そう呼ばれるようになっちゃって」
一人笑うネクロゼリアに、ライライラはなにも答えません。
「そうやってまただんまりですか。困りましたね、いい加減私に慣れてほしいんですが。あ、もしかしてお師匠様がいきなり出ていって、私に交代したからですか? 私がいるからお師匠様が出ていったと、そう思われているのでしょうか?」
「違う! あのババァだって勉強教えてくる以外は……してくれなかったし! でも、フォルナは…… フォルナを……フォルナは…………う、う、うああああああああああ」
「すみませんライライラ様。泣かすつもりはなかったんです」
大泣きしてしまったライライラの手を握る白兎は、どうすることもできませんでした。ただ、手を握ったまま、その手に、ライライラが痛がらないであろう程度の力を込めるくらいしか。
「ライライラ様、本当に私は泣かすつもりはなくて……すみません」
ライライラは泣きながら考えていました。このネクロゼリアが、擬態魔法で姿を変えた自分の師匠である可能性を。でもこの世界はひとつおぼえ以外の魔法は使えないはず――――つまり、このネクロゼリアが本物である可能性は高い――――そんな推理を、誰にも気取られないよう、一人行なっていたのです。
しばらくするとライライラは、泣き声を飲み込むように泣き止みました。そして白兎の手を引きズカズカと歩きだします。フォルナが姿を消した方角に向かい。
「ライライラ様、どこに行くんですか」
「私にはやらなきゃいけないことがある」
「白点病の件ですか?」
ピタリ。ライライラの足が止まります。
「なんで知ってるんだよ」
「さっきお話したとおり、私は邪教討伐隊クラリアスのメンバーですから、それなりに。ああ、そういえばライライラ様は邪教討伐隊のことよく知らないんでしたっけ」
「…………うるせぇよ」
「邪教討伐、と名乗ってはいますが邪教専門であったのは昔の話。今も魔導士協会に仇なす者たちを成敗したりはしますが、調査に出たり、協会がよりよくなるための活動をしたり……そうですね、正義の味方兼なんでも屋ってところでしょうか」
「うるせぇって言ってんだろ!」
足早に、白兎を連れてネクロゼリアから離れようとします。でも、ネクロゼリアは大股で歩きながら難なくついてきました。歩幅が、あまりにも違いすぎるのです。
「ついてくるなよ!」
「だめですよ。ここは危ないですし」
「ついてくるなって言ってんだろ!」
「私はあなたのメイドですよ?」
ライライラがどれだけ急いでも、ネクロゼリアを引き離すことができません。そしてライライラは思います。フォルナと歩いている時は、急ぎ足にならなくてもよかったと。
「だからついてくるなよ!」
「この世界について、教えてあげますと言ったとしても?」
その言葉はライライラの足を止めるのに充分なものでした。
「教えろよ」
「いいですよね、サカサナマズは。初めてのシノドンティスはサカサナマズで決まりです」
さっきよりも多い数の逆さまに泳ぐ魚を見つけたネクロゼリアは、完全によそ見をしています。
「教えろって言ってんだろ!」
「あ、ごめんなさい。つい。でも可愛くないです? サカサナマズ」
「…………たしかに可愛いけど」
「その可愛い魚たちを、ライライラ様は守りたい。だからこの世界について知りたい。そういうことですよね」
「うん」
頭に浮かぶのは、ニジカの姿。別れてからそう経っていないのに、もう随分と会っていない気がします。
「その気持ちは私も同じです。さっきは手荒なことをしてしまいましたが、お願いです。信じてはくれませんか?」
「…………」
「たしかに私は、掃除も洗濯もできないし、料理もそう美味しくできないし、ヌードルラーメンに乗せる玉ねぎを刻むのも、ライライラ様のほうが上手い。そもそも私は、あなたのお師匠様に言われて去年の春、家にきたばかり」
「…………」
「でも、ライライラ様を守ろうという気持ちは……」
「じゃあなんで白兎にいじわるするんだよ」
ネクロゼリアは「ああ、そこですか」とでも言いたげな顔で、手をぽんとならします。
「ライライラ様を守るには非力な存在だと」
「私と白兎はそういうのじゃないからな!」
「そうでしたか。それは失礼しました。では、邪教聖典が悪人であることだけ信じていただけますね」
突然変わった話題に、ライライラは沈黙します。
「なんとなくわかってくれたんですね。ありがとうございます。大人は汚いですから、子どもをすぐに利用します。それにくらべて魚たちの美しいこと! さあ、私と一緒に、進化する白点病を止めましょう」
「白い病、私たちはそう呼んでる」
「わかりました、では白い病で」
それは、ライライラの静かな抵抗でした。フォルナも、あの病気のことを白い病と呼んだから。
ネクロゼリアの道案内はとても的確で、いくつかの水槽をさっさと抜けると、すぐに別の魔導士を見つけてみせました。フォルナのように偶然ではなく「多分こっちに誰かいると思う」と。
「あ、あの子」
「お知り合いですか?」
それは、以前出会った白髪の少女、白椿でした。
「お姉ちゃん! 久しぶり!」
「あ。あれ。あれ?」
飛びついてきたその少女は、以前よりも成長しており、ライライラと目線が変わらないくらいになっていました。
「もしかして……」
異常な速度で成長するのは、この少女のひとつおぼえなのではないか。ライライラはそう思ったのです。だとしたら、この小さな少女がこの世界に放り込まれた理由も説明がつきます。
「こんなところでなにしてるんだよ」
「あのね、あれ!」
少女が指差した先には、多数の魚たちが――――。
【023】第九冊二章 魔力を帯びたゴリラ with 逆様シノドンティス おわり
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