アクアリウムライライラ
第一部 アクアリウムの白
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【025】第十冊二章 突撃アピストグラマ

「僕は違うのだよ!」
「でも、おまえは白いじゃないか」

 ライライラの顔を見つめたまま、強く否定した白兎。彼に投げかけられたその声は、ライライラがヒトガタにしたうちの一人のものだったのです。

「僕は、違うのだよ……」
「たしかに、おまえたちは助けてくれた。違うのかもしれない」
「かもしれないではなく、違うのだよ」
「うん、違うよ。白兎は病気をばら撒いたりなんて、しない」

 弱々しい声でライライラも否定します。

「そうか、なら違う。では、僕はどうしたらもう一度泳げる。この体では泳げない、どうしていいかわからない」
「僕が教えただろう、歩くのだよ」
「僕はサンダーロリカリアでも、コリドラスでもない。底を歩かない」
「ライライラ、ちょっと待っていてくれたまえ。僕は、彼に歩き方を教えなければならないのだよ。どうも、うまくやれる魚とそうでない魚がいるみたいで」

 うまく歩けないのは、私が――――ヒトガタにしたせいかもしれない。ライライラの胸がチクリと痛みます。

「心配しなくていいのだよライライラ。彼はゼブラダニオだ。勢いよく泳ぎ回る彼からしたら、歩くのに馴染むのは時間がかかるかもしれない。それにもうすでに随分と歩けている、彼はきっと、もっと勢いよく歩きたいだけなのだよ」

 察した白兎の言葉に、ライライラは目を瞑ります。空の光を遮っていた白兎がどいたせいで、眩しかったからです。

「ライライラ様、すみません。私の不注意で」
「ネクロゼリア……」

 まぶた越しに影を感じ再び目を開いた時見えたのは、ネクロゼリアの顔でした。 

「わかっております、ちゃんとご説明します」

 ネクロゼリアは説明します。白髪の少女が口から何かを吐き出し、それを捕まえようとした隙に逃げられたと。

「気をそらされた瞬間、私は、あの少女に力負けしたのです」

 悲痛な顔から、伝わるのは謝罪の気持ち。こんなに苦しそうなネクロゼリアを見るのは初めてです。

「邪教聖……いえ、フォルナとの戦いでひとつおぼえを使いすぎたようです、腕力が急に……通常よりかなり落ちてしまいまして。たしかにひとつおぼえを実戦で使ったのは初めてでしたが、負荷が遅れてくるだなんて考えもしませんでした…………申し訳ありません」

 あれだけ拒否していた、フォルナいう名を口にしたネクロゼリア。その心遣いにライライラは少しだけ気持ちが緩みます。

「それで、白椿は何を吐き出したんだ?」
「シスト。簡単に説明するならば、白い病の詰まった袋です」
「それは――――!」
「安心してください。私がひとつおぼえを使って圧殺しました。おかげで私も気絶しましたが、あの少年、いえ白兎様が見ていてくれたようです」
「白兎様……か、ねぇネクロゼリア」

 起き上がろうとしたライライラをネクロゼリアが手伝います。強い腕の安定感に体を預けると、頭の中がトコンと揺れるような感覚がありました。まだ不安定な調子。今目覚めたこの世界のことだって、どこかぼんやりとしていて――――ライライラは自分と同じ顔の誰かがいるあの上も下も感じられない空間のことを、綺麗さっぱり思い出せなくなっていました。記憶という名の本が閉じてしまったかのように。

「なんでしょうか。ライライラ様」
「ありがとう。ネクロゼリアって悪いやつじゃないんだね」
「私はあなたのメイドです。でも……メイドとしては最低ですけど」

 ネクロゼリアの見せた笑顔は、明らかに無理したものでした。少し離れた場所では白兎が、首元から足首まで小気味よく通ったストライプ模様で、まるで魚の肌のような質感の、体にピタリと張り付く服を着たヒトガタに歩き方を説明しています。どう見ても見事に歩けているのですが……本人は納得できていないようで、何度も何度も行ったり来たりを繰り返しています。

「ねぇ、ネクロゼリア。フォルナのこと……」
「すみません。あの者が大罪人であることは変わりません」
「……そっか。本当にそうなのかな」
「信じていただけなくても、私は、そうとしか」

 フォルナはどうしてあの場で逃げていってしまったのか。なぜ、なんの弁明もしなかったのか。

「ふぅ、やっと納得してくれたのだよ」

 整理のつかない気持ちにぼんやりしていると、指南を終えた白兎が戻ってきました。

「ライライラ様はこれからどうされますか。あの、白い少女を探しますか?」
「うん、ネクロゼリアは魔導士の居場所がわかるんだろ? さっきもすぐに見つけたし」

 実は、昼と夜が五回繰り返すほどライライラは眠っていたのですが、それに気がつくことはありません。気絶していたのは短い間……そんなつもりで話し続けています。

「すみません。それは、私の能力ではないのです」
「?」
「もうひとり、同行者がいます。でも、ちょっとシャイなので…………。それで、これを使って」

 髪をかきあげ、右耳から小さなワイヤレスイヤホンを外します。

「それ、持ち込んだのか」
「ええ。向こうは、スマホを」
「え、電波入るのここ」
「いえ、直接電波を飛ばしています。どっちも改造品なので、まぁまぁ届きますよ」

 ライライラはもうずいぶんとスマホを触っていないことに気がつきます。ここに来る前は、毎日触っていたのに。

「その人の能力があれば、広い範囲を捜索できるのか?」
「不安定で、詳細でもないのですが、だいたい、どこに魔導士がいるかくらいならわかるようですよ」

 わりとざっくりした能力なんだなとライライラは思いつつ、座ったまま背伸びをして固まった体を動かし始めます。

「それがあれば見つけ……いや、なんでもないのだよ」
「ん? どうしたんだ白兎? 今、なにか言おうとしなかった?」
「いや、白椿を探しやすくなるって言おうとしただけなのだが……その、誰もが思っていることを言おうとしてしまった、そんな自分が恥ずかしくなったのだよ……」
「なんだよそれ。変なところで恥ずかしがるなぁ」

 もじもじと恥ずかしがった白兎の姿を見て、ライライラは少し吹き出してしまいました。

「そういえば、ヒトガタになったみんなどこ行ったんだ?」
「どっか行ってしまったのだよ。壁がこえられると僕が伝えてしまったから」
「そっか。喜んでくれたかな。ゼブラ……」
「ゼブラダニオかね?」
「うん、ゼブラダニオは不満そうだったし」
「みんな、白い病から救われたことを喜んでいたのだよ」

 即返ってきたその答えに、ライライラはそっかとつぶやきました。

「うん、まぁ、よかったよ。うん……よし!」

 膝をまげ、靴の裏を地面に当てて。

「もう少しで立てそうだから、待っててくれたまえなのだよ」
「唐突に真似しないでくれたまえ!」
「真似していないのだよ」

 白兎の口調を真似てみせたライライラは、明るく笑いました。

 

 

 

 ライライラは意外と早く歩けるようになり、一同はネクロゼリアの協力者から送られてくる情報を元に、魔導士らしき気配がある方角へと向かいはじめます。そしてしばらくして現れた、次の空間へとつながる壁の向こうには、レモンイエローの小さな魚が一匹いるだけでした。頭から尻尾までの長さは、ネオンテトラ以下。つまりライライラの腕の長さよりも短い魚です。体の高さはネオンテトラよりもありますが、特に迫力は感じません。黄色い魚の近くには植木鉢を割ったものが伏せてあり、その下の暗がりに出たり入ったりを繰り返しています。

「すっげぇ黄色だな」
「ライライラ様! ちょっと!」
「うあっ!」

 ライライラが壁をこえた瞬間、お腹に強い衝撃がありました。吹っ飛んだその体を受け止めたのは、ネクロゼリア。彼女がいなければ今ごろ、ゴロゴロと転がっていたことでしょう。

「ぐぬぎー! いてぇ! なんだあの魚!」
「ライライラ、大丈夫かね!」
「ちいせぇのにめっちゃ凶暴じゃねぇか!」

 思ったより体へのダメージが少なかったのは、本能的に体内の魔力を素早く循環させて防御に回した結果だったのですが、ライライラにはそれに気がつく余裕はありませんでした。

「はぁ、やべぇぞあの魚」
「あれは、アピストグラマのメスです。種類は……んん、アピストのメスを見分けるのは難しいですね……」
「あっちに行かないとまずいのか?」
「通信では、方角はこっちとのことです……大きく迂回すると、目標から離れてしまうかもしれません」
「行くしかないか。ダッシュで抜ければいいかな」

 ライライラは、片足を後ろに下げて姿勢を低くし駆け出す準備をします。

「よし、行くぞ」
「はい。いざとなれば私が盾になりますから」
「だめなのだよ!」

 いざ走り出さんとした時に、白兎が二人の前に立ちはだかります。

「なんだよ白うさ…………あ」

 止められた理由は、聞かなくともわかりました。透明な壁の向こう側、植木鉢の下の暗がりからすごく小さな魚が何匹も出てきたのです。

「あれ、子どもか?」
「ああ。守っているのだよ。だから、刺激するのはよくない。ここを安全ではない場所だと思わせてはいけないのだよ」

 子どもたちの数はとても多く、黄色い魚が一匹で守っているのが奇跡のようです。

「そっか……ごめんネクロゼリア、道を変えよう」
「私こそ、すみません。目的のためだけに、やってはならないことをしてしまうところでした」

 ライライラたちは、その空間に背を向け元来た方向へと歩きだします。

「なぁ……大丈夫なのか?」
「なにがでしょうか」

 立ち止まったライライラの顔は、青ざめていました。

「もし、あんなに子どもがいるところで白い病が……」
「大丈夫ですよ」

 ネクロゼリアは髪をかきあげ、ワイヤレスイヤホンを入れている方の耳を見せました。

「あの空間には、魔導士らしき者が入った様子はないそうです」
「そっか……よかった」

 ライライラの胸が、ドクンと一回鳴ったのは、白椿と名付けたのが自分であったことを思い出したから。白兎の妹みたいだからとつけたこの名を、今の白兎はどう思っているのか。今更別の名に言い換えるのもおかしいし、使わないようにと提案するのもおかしな話だし……ライライラはただ、この状況を受け入れることを静かに決めることしかできませんでした。

 

 

 

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