第一部 アクアリウムの白
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【026】第十一冊一章 三つ編み沼
エビ、エビ、エビ。ネクロゼリアに送られてくる案内を頼りに、いくつもの空間を通り抜けてたどり着いた壁の向こう側は、ライライラのつま先から肩くらいまでの大きさのエビだらけの世界でした。透き通ったその体の側面には赤茶けた色の小さな点が並んでおり、背中には真っ直ぐに線が入っています。長い触覚を揺らすその姿を壁越しに見たライライラは、思わず後ずさりをしてしまいました。
「大丈夫ですよライライラ様。あのエビはヤマトヌマエビ。大人しいです」
「ヤマトヌマエビって言うのか」
「ええ。スジエビであったらちょっと危険かもしれないですけど。あれは襲ってくるような種類ではありません」
そっかと気を取り直したライライラは白兎と同時に、エビだらけの世界へと入ります。水に物が落ちるような音と、壁に広がる波紋は、やっぱり白兎だけ。遅れて入ってきたネクロゼリアは完全に無音、もちろん波紋が広がることもありません。
「おかしいですね……」
「どうしたんだネクロゼリア」
「いえ……」
「はっきり言ってくれても大丈夫だ」
ライライラは覚悟した顔で言いました。
「言わなくていいのだよ」
「なんだよ白兎!」
割って入った白兎に、思わずキツイ顔を向けてしまったライライラは、すぐに申し訳無さそうに顔をそらします。
「いや……」
「ああ、そういうことか」
白兎がなにか言う前に、ライライラはあるものを見つけてしまいました。白い魚の骨が、いくつか転がっているのを。
「ネクロゼリア、白い病はエビには伝染らないのか」
「はい」
「食欲は、この世界では消えるんじゃないのか」
「本能だと思います。彼らも悪気があるわけではなく、本当にただ本能として……。でもそのおかげで、ここの水質は悪化せずに済んだのだと思います」
ライライラはエビたちの間を歩き白骨に近づくと、しゃがんで静かに手を合わせました。それから次の白骨の近くへ行き、また手を合わせて。それを何度か繰り返して、全ての白骨に手を合わせ終えると、すぐ脇にいたヤマトヌマエビに向かいぺこりと頭を下げました。思い浮かんだ、ニジカの姿。あの場所にヤマトヌマエビがいたら、埋葬を手伝ってくれたのではないか……そんな気がしたのです。
「ネクロゼリア、白い病を治す薬はあるのか」
「あります。ただ、この世界に持ち込みは…………」
「そういうひとつおぼえを持ったやつはいないのか」
「すみません、そうした情報は」
その時、白兎の肩がビクリと震えました。
「白兎……なんか知ってるのか?」
ライライラは思い出します。白兎が、ネオケラトドゥスに白い病について尋ねていたことを。
「……知らないのだよ」
「嘘をつくなよ。私のことが嫌いになったのか?」
「なんなのだね、その暴論は! 嫌いになると思うのかね!」
「ライライラ様、白兎様、喧嘩は……」
じっとにらみ合う二人。どちらの表情にも気まずさの色が浮かんでいましたが、感情が溢れ出てきてしまうせいで冷静になることができません。そしてそこに、皮肉にもネクロゼリアの吐いた「喧嘩」という言葉が火をつけてしまいました。
「絶対なんか隠してるだろ! あの時、ネオケラトドゥスさんになにを聞いた!」
「どうして今聞く必要があるのかね! あの時詳しく聞かなかったじゃないか!」
「……っ! やっぱり知ってるんだな!」
「ライライラ様!」
掴みかかりそうになったライライラを、ネクロゼリアが引き離します。
「ああ、知ってるのだよ! だから言えない! 僕は君以外信用していないからね! 君にしか言えない、でも他に人がいるから言えない!」
「そんなこと思ってたのかよ! フォルナだってネクロゼリアだっていろいろ考えてくれたろ!」
「結局フォルナはいないし、その原因を作ったのはネクロゼリアなのだよ! どうして君は平然とっ――――」
そこまで言って黙り、白兎はきゅっと唇を噛みました。
「なんだよ、言えよ!」
「ごめん……」
「言えって言ってんだろ!」
ごめん。白兎はもう一度そう言うと、背を向けて走り出してしまいました。
「…………」
「ライライラ様、追いかけますか?」
ネクロゼリアが尋ねたのは、独断で追いかけてしまうとライライラを一人にしてしまうから。
「あ……その…………」
追いかけたい。その気持ちが顔を出したときには、もう、白兎の姿は見えませんでした。
「ライライラ様……」
「ネクロゼリア……私……」
「そんなに悲しまなくていいっす」
いつの間にか、ネクロゼリアの後ろには一人の少女が立っていました。ライライラと同い年くらい、フレームが太くてレンズの大きいメガネをかけた、どことなく暗そうな雰囲気のある少女です。
「め……ミアーリナ?」
「ひひ……ライライラ、学校ぶりっす」
二本の、一切たるみのない硬くきつく編んだ三つ編みを揺らす少女は、ライライラの同級生でした。二人は、魔導学院で隣の席なのです。着ているのは、傷みの目立つ魔導学院の制服。
「ライライラ様、この方が私の協力者です」
「……こんな時に……出てこなくても」
「だって、自分奇数苦手っすから。奇数だと、ひとり余って会話からあぶれちゃうんすよ」
「今が奇数じゃねぇか」
「ネクロゼリアは大人っすから」
姿勢の悪いミアーリナは、ライライラと目を合わせないままそう言いました。
「ああ! もう!」
どんとライライラが地面を踏むと、ミアーリナが少しビクッとします。
「ごめんミアーリナ。協力してくれてるのに、悪いのは私だから、だから、ごめん」
「そ、そんなことないっす」
「これから、よろしく」
ライライラの差し出した右手。ミアーリナは自身のスカートで手汗を拭ってからその手を軽く、指先だけを握り返します。
「ミアーリナのひとつおぼえってさ、広い範囲のことがわかるんだろ? すげぇな」
「ひひ、ありがとうっす。でも声を聞いてるだけっす」
「声?」
ミアーリナは、周囲の音を集めるために両耳の後ろに手をあてます。広げた手のひらで、小さな耳を前に押すように。そのせいで、メガネがピョコンと動きます。
「ヴォトリアの箱庭には、目に見えないくらい小さな生き物たちがいっぱいいるっす。その声が聞こえてくるっすよ」
「ヴォトリア? なんか聞いたことあるような」
思い出せそうで思い出せない。ライライラの頭の中が少しだけ騒がしくなります。
「え……ライライラ、そんな大事なこと忘れちゃったんすか?」
「え? そんなことってなんだ?」
「ご、ごめんなさいっす」
「怒ってないよ」
ミアーリナは、また「ひひ」と笑ってライライラを上目遣いで見ます。身長は同じくらいなのですが、姿勢が悪いせいで目線が少し下にあるのです。
【026】第十一冊一章 三つ編み沼 おわり
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