第一部 アクアリウムの白
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【027】第十一冊二章 カミアミ沼
「ヴォトリアは魔導士協会の始祖っすよ。学校で習ったじゃないっすか」
「あー! そうだった! 私歴史とかそういうの苦手だからさ。だってヴォトリアってだいぶ昔の人だろ? もう何代も何代も前の。ああいう話、頭痛くなるときあるんだよなぁ」
「頭痛くなるって……どんだけ苦手なんすか。ヴォトリアは古代都市の唯一の生き残りなんすから、ちゃんと覚えとかないとだめっすよ」
「ん? ああ、あのあったかどうかわかんない都市の話か。んん……それで、ヴォトリアの箱庭ってのがここのことなのか? ってことは古代都市はガチで存在したってこと?」
そんな推測をしていたら、少し頭が痛くなってきてしまいました。
「ヴォトリアの箱庭は、ヴォトリアが開発した自己鍛錬のための魔導空間っす。もともとはヴォトリア専用で、壺ひとつだけだったんすけど、死後に水槽を連結することで拡張できることが発見されたっすよ。それでどんどん世界が大きくなって、今の形になったっす」
得意げに話すミアーリナの目の前で、ライライラは首を傾げます。
「ヴォトリアについて習ったのは思い出したけど、箱庭がなんちゃらなんて話授業でやったっけ? 私こんな世界があること全く知らなかったんだけど」
「そ……それは、ライライラが休んだ日に……」
「その壺の中に満たされていた水が、生存の約束された水。そしてその水と同等の性質を、アクアリウムに見出したのです」
代わりに説明したネクロゼリアの脇で、ミアーリナは誰にも聞こえないように無音の舌打ちをしました。
「限られた空間、生存の約束された水。それが箱庭の条件ってことか」
「さすがライライラ様。ただ、水槽単体では箱庭にはなりません。あくまでヴォトリア様の作り出された壺を中心に、世界が構築されているのです」
「そっか。やっぱ知らねぇなその話」
「ミアーリナ様は魔力量も多いし成績もいい。だから、優秀生徒として特別授業を受けたのですよ。基本、特別授業の内容は、口外無用ですから。ライライラ様が知らないのも当然です」
「そっか。私特別授業嫌いだからよく逃げてたもんな……。でも、たしかに、このエビたちを見てると、生存の約束された水ってことがわかるよ」
エビたちは元気よく、なにもないように見える砂の上を一所懸命につまんでは口元へ運ぶという、つまつまとした動作を繰り返していました。
「ええ。箱庭の拡張が可能になったことをきっかけにアクアリウム自体の研究も進み、魔導士の間でアクアリウムブームが起きたんです。一説によると、魔導士のアクアリウム所持率は三割をこえるとか。それが本当なら、だいたい……三人に一人がアクアリストですね」
「あーだから、みんな魚に詳しいのか……」
頭の中に魚について語る白兎やフォルナの姿が浮かびましたが、それを表情に出すことはありませんでした。
「ええ。実際に箱庭の研究に携わった人間は、名のある者がほとんどでしたので。そのぶん広がるのも早かったのでしょう」
「インフルエンサーみたいなものか」
「インフル……まあ、高等魔導士ですね。当時は多くの弟子を抱えるのが普通だったようですから、研究用のアクアリウムを見た人数も多かったのでしょう。なんの目的で作られたかは知らないまま、アクアリウムの素晴らしさだけが広まっていったのですね」
「あー。肝心なところは隠してたのか。なんかありがちな話だなぁ」
トッ。と聞こえたのは、ミアーリナが地面につま先をぶつけた音。それに反応して、ライライラたちの会話が止まります。
「そ、それにしても綺麗っすね」
ミアーリナが指差したのは、遠くに見える、大きな岩山でした。そこには様々な植物が生え、エビたちもいます。
「……全然、見えてなかった」
「気持ちの問題っすね」
「…………」
「ご、ごめんなさいっす」
「いや、ありがとう」
ライライラは、今いる空間がとても広く美しいことに気がついていませんでした。白い砂に、黒い岩山。そしてそこに生える美しい植物たち。空を見上げれば、体全体がオレンジ色に輝き、バチのようなダークブルーの模様を持つ魚が群れをなして泳いでいます。グローライトテトラとはまた違った、オレンジ色の美しさ。それを見て、ネオケラトドゥスの腹部のオレンジもまた違う美しさであったと、思い返します。
「それにしてもでけぇ岩とか木とか多いなこの世界……いや、私が小さくなってんだっけ。ああ、だからひとつおぼえもえげつねぇのか、縮小してるから強い力が出るんだな」
「圧縮魔力と近いのかもしれませんね。その冷静な分析、さすがです」
岩山は遠く巨大で、白い砂場はとても広く。とてもナチュラルで、でも、どこか整っていて。自然の囁きに人の美意識が加えられたような、美意識を自然の煌めきに委ねたような、まさに箱庭という言葉がよく似合う世界であると、ライライラは思います。
「ひひ、なんか元気になってよかったっす」
ミアーリナは不器用に笑うと、ライライラの目をちらりと見て、またすぐにそらしてしまいます。
「ミアーリナ、頼みがあるんだけど」
「なんっすか?」
「白兎と、フォルナを探してくれないかな」
ミアーリナは少し考えて、困った顔で口を開きます。
「自分のひとつおぼえは、なんとなくしかわかんないっすから。魔導士がいるかもってくらいしかわかんないっすから……だからその二人に当たる可能性もあるにはあるっすけど…………」
「ありがとうミアーリナ!」
ライライラが大喜びで抱きつくと、ミアーリナはまた不器用に笑います。
「まったく、ライライラ様はわがままですね。いいでしょう、探しましょう。ただフォルナには気をつけてくださいね」
「わかった。ごめんねネクロゼリア」
「そうやって肩に力を入れずにしゃべるライライラ様、可愛いですよ」
「う、うるせぇなぁ!」
ライライラは背中を向けて、歩きだしました。どことなく不器用に見えるネクロゼリアとミアーリナ。その二人と、少し打ち解けられたことが嬉しく……でも、その気持ちの表れた表情を見せてはいけない気がしたからです。
「すげぇなこの岩。溶岩が固まったやつみてぇ」
「ひひ、この前話題になってたっすね。溶岩石で体を洗ってみた」
「あ、ミアーリナも見たのかあれ! バズってたよな! 結局黒く塗ったスポンジだったやつ」
「まとめで見たんすか? 私はまどちゃんでリアタイだったっすけど」
「まどちゃん? ああ、魔導士ちゃんねるか。私あそこには、ちょっと嫌な思い出が……」
「ひひっ、アンダーグラウンドっすからね。あそこは」
岩山は黒い石でできており、近くで見ると細かい穴がたくさん空いています。そしてその岩山には土がないのにも関わらず様々な植物が根を張っていました。植物の種類もいろいろ。半透明の葉を持つもの、ラメをふったような輝きを持つものなど……見れば見るほど新しい発見がありました。
「あのラメっぽい葉っぱのやつ、高そうだなぁ」
「あれはブセファランドラのクダガンっすよ」
「へぇ、ミアーリナ詳しいな。お、あっちにもクダガンがある!」
「いや、あれはまた別のやつっす。この水槽、ブセコレも兼ねてるっすね」
「コレ……コレクションか。言われてみると、似てるけど違うのがいっぱいあるな」
さっと眺めただけではわからない発見が、岩山には本当にたくさんありました。そしてエビたちが、その岩肌や植物を美しく保つ仕事を担当しているかのように、つまつま、つまつまとせわしなく手を動かしているのです。
「うわっ、あれなんだ! 糸みたいのが垂れてる!」
かなり高い位置。岩山の上から伸びた木の枝の先あたりに、ライライラの体の倍近くありそうな大きさの魚がいました。その体の下からは細い二本の糸のようなものがスラリと伸びています。長さは、魚の体と同じか、ちょっと長いくらい。体の色は逆光でよく見えず、そのおかげでその不思議な糸が余計に目立っています。
「あれはパールグーラミィですね」
パールグーラミィの模様がよく見えたのは、植物の影に移動したから。
「へぇ。あ……」
影を生み出している植物は赤いまだらで丸く大きく平ら。蓮の葉を下から見上げたように、空に浮かんでいます。その葉に空の光が透けて、なんとも言えないエキゾチックな雰囲気を醸し出していました。
「大丈夫ですよライライラ様。あのパールグーラミィの体の白い点は元からの模様。病ではありません。よく見てください、美しいでしょう」
「…………ほんとだ」
パールグーラミの体に並ぶ白い点は、白い病とは全く違った雰囲気を持っていました。その名の通り、全身に無数の真珠を散りばめたかのような姿。オレンジ色の腹部がさらにその美しさを際立てます。
「これもまたオレンジか……。いろんなオレンジがあるんだな、魚の世界には……って、感動してばっかじゃいけねーな。ミアーリナ、魔導士のいそうな方角を探してくれ」
「はいっす」
ミアーリナは耳を澄まし、なにか聞き取ろうとしているようです。
「…………ライライラ、なにしてるっすか?」
「むむぐ」
同時に、口を両手で塞いだライライラを見てミアーリナが尋ねます。
「もしかしてライライラ様、バクテリア……えっと、小さな生き物を吸い込まないようにしています?」
「むぐ……ぶはっ! はぁっ はぁっ」
ミアーリナが耳を澄ましたことで、目に見えない小さな生き物たちが集まってきた――――そう思ったライライラは本当に焦っていました。今までそんなに小さな生き物がいるだなんて、全く知らなかったので、その焦りようは相当なものです。
「大丈夫ですよ。バクテリアたちは吸い込んで害のある生き物ではないですから」
「で、でも吸い込んだらかわいそうだって」
ライライラはできるだけ息を吸い込まず喋ろうとしています。そのせいで変な小声になってしまったのを聞き、今度はミアーリナが口を押さえて必死に笑いをこらえていました。
「彼らはそういう生き方をして世界とともに生きているんです。この世界に満ち溢れた水を生きた水にしている、そのものなのですよ」
「どういう……」
「彼らと生存の約束された水は一体。そう思ってください。だから、呼吸をしても大丈夫。私はバクテリアの専門家ではないので詳しく語れませんが……空間とともにある、そう考えるといいですね。生き物全ての基準を、人間と同じに考えてはいけませんよ」
「なんか難しいけど、うん……よろしくお願いしますバクテリアさんたち……でいいのか?」
「どうっすかね。ぷぷぷ! うわっ、怒らないでくださいっす!」
ミアーリナは急いでまた耳を澄ましましたが、またすぐ笑いだしてしまいました。
「ぷひひ、もうちょっとまってくださいっす。自分ツボに入るとだめなんすよ」
それから七回。ミアーリナは耳を澄ます動作と、笑いをこらえる動作を繰り返したのです。その後、なんとか笑いをこらえ、なにもいないように見える空間からなにかを聞き取りました。ライライラたちには、まるで聞こえもしない声を。
「多分、こっちにいるっすよ。誰かわからないっすけど」
「わかった。ありがとう」
三人は、次の空間へ続く壁が現れるまで、かなり長い間その岩山のある世界を歩き続けました。そしてその世界には、延々と美しさが続いていたのです。
「ライライラ、どうしたっすか?」
「いや、なんでもない」
荒い岩肌に、植物やエビ、魚たちが見せる命のコントラスト。ライライラは、小さな美しさの集合体とも言えるその景色に――――まるで自分の遺伝子にでも刻み込まれているかのような――――懐かしさを覚えていました。人は水の中からやってきたのではないか、そんなことを思ってしまうほどに。自分はこの情景にとって異物なのだろうか、それとも一部なのだろうか…………そんな悩みを抱えるほどに。
【027】第十一冊二章 カミアミ沼 おわり
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