第一部 アクアリウムの白
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【028】第十二冊一章 私ね、髪が長くなったの
ミアーリナの能力を頼りにライライラたちは先を急ぎます。この先にどんな魔導士がいるかはわからない。そんな不安を抱えながら。
「多分、次の壁こえたらいるっす」
「ありがとう」
白兎か、それともフォルナか。ライライラの期待は透明な壁越しに一瞬で裏切られてしまいました。
「白……椿…………だよなあれ」
向こう側に立っていたのは、随分と大きく育った白髪の少女……いえ、もう少女とは呼べない姿となった白椿でした。長身のネクロゼリアより、少し低いくらい。やせ細った体は病的に青白く、ピンク色の瞳の色は少し薄くなったように見えます。そして白い髪は随分と長く、地面に引きずってしまいそうなくらいまで伸びて――――。
「あ、お姉ちゃん!」
ライライラを見つけた白椿は嬉しそうに、こちらに向かって跳ねるように踏み出しました。屈託のない笑顔、それは幼い見た目であった頃とまるで変わりがなく。
「ライライラ様!」
白椿は、間に入ったネクロゼリアを器用にかわすと、ライライラに飛びつきます。流れるような動き。視界は、笑顔と髪に支配されます。
「このっ!」
「ネクロゼリア、待って!」
髪の僅かな隙間の向こうに、水が揺れるような波紋が見えた気がしました。でも、白椿の髪が長すぎて、それが本当に波紋なのか、それとも揺らめいた髪であるのか、確信を得ることはできませんでした。多分髪の毛だろう、水音のようなものも聞こえなかったし――――きっと、波紋に見えたのは白兎への気持ちが――――。
「お姉ちゃん! 見て! 私こんなに大きくなった!」
仰向けに倒れたライライラの上に馬乗りになり、両手を広げてみせる白椿。異様に長く、明らかに関節の数が多い指、薄い手のひら。それを、ピシャリとライライラの頬に添わせます。
「う……」
後頭部まで届く長い手指はまったく動くことはなく、顔は完全に固定されてしまいました。こしょこしょとくすぐったいのは、顔や首筋に触れた、長い長い髪の毛です。
「なあ白椿……なんでこんなことするんだ。白い病を強くするなんて、やめるんだ」
「なんで?」
「人間が魚の病気を強くするなんて、おかしな話じゃないか!」
「なんで?」
手を固定したまま、右へ左へと首を傾げながら揺れる白椿。ネクロゼリアは拳を握りしめ、いつでも飛びかかれる姿勢でその様子を見ています。
「だって、魚たちはこんなにも美しいし!」
頭上を通り過ぎたのは、ネオンテトラたち。薄く広がった白髪越しに見えたその輝きに、ライライラはこの世界に来たばかりの頃を思い出します。涙越しに眺めたネオンテトラを。
「なんで?」
「なんでもだ! 魔導士のやることじゃない!」
「魔導士?」
ゆらゆら、ぐらぐら、白椿はその体の揺れをどんどん大きくしていきました。下敷きになっているライライラの細い腰が、石だらけの地面との間でギシギシと痛みます。
「魔導士? 魔導士? 魔導士? 魔導士? 魔導士?」
「そ、そうだよ魔導士だよ」
揺れはどんどん大きくなり、ライライラの腰の痛みも増していきます。
「魔導士? 魔導士? 魔導士? 魔導士? 魔導士? 魔導士?」
「だからそう言ってんだろ……」
「魔導士? 魔導士? 魔導士? 魔導士?」
「いや……だから」
「魔導士? 魔導士? 魔導士? 魔導士?……あ!」
ぴたり、白椿が動きを止めました。頭は地面すれすれ、思いっきり傾いたまま。そのまま低空飛行をするように、ぐうっとライライラに顔を近づけると、生温かい息の香りがしました。
「ライライラ様!」
「待って、ネクロゼリア」
再びネクロゼリアを止めたライライラの視線と、白椿の視線が至近距離でぶつかります。
「お姉ちゃんは魔導士」
「そうだよ」
「じゃあ私は?」
「魔導士……だろ?」
ポトンポトン。ぽわんとあいた口からライライラの顔によだれが垂らされ、頬を伝い流れていきます。
「違う、私は、人になったやつ」
「え」
それだけ言うと白椿は素早く立ち上がり、到底人間にはできないであろう無茶な角度でネクロゼリアを蹴飛ばしました。
「……軽いですね。動きは速いですけど」
「軽いの? そっか、でも当たった。速いから」
ネクロゼリアを斜めに見つめます。子どもが、珍しいものを見つけたかのような顔で。
「私は速い魚に乗れば速く動けるんだよ。だから、速いの」
「今は魚に乗っていないでしょう!」
はじまった戦闘。ネクロゼリアの攻撃も相当な速さなのですが、白椿には当たりません。素早さもさることながら、その動きはあまりにも不自然。人間の構造からかけ離れた動きであるため、ネクロゼリアが対応しきれないのです。言うなれば、体のそれぞれの部位が独立した意思を持っているかのような、そんな動きで――。
「ゆっくりも動けるんだよ、お姉ちゃん! 動かないこともできるんだよ! ねぇ、お姉ちゃん! 私、すごいでしょ?」
ライライラから返事はなく、代わりに聞こえたのは小刻みな呼吸。
「魔導士は敵? 違う。お姉ちゃんがいるんだもん。じゃあ魔導士は敵? うん、これは敵」
何発かネクロゼリアに攻撃を加え、ダメージを与えられないことがわかると白椿は思いっきり後ろに跳ねて距離を取りました。
「おまえは魔導士?」
「ええ、そうですよ」
「おまえはシストを握りつぶした、だから敵。じゃあ、あっちのは?」
ぐるり、ミアーリナの方をみたその顔は、遊んでいるかのような無邪気さです。天真爛漫な瞳に射止められたミアーリナは腰が抜けてへたりこんでしまいました。
「おまえは、見えないものの声を聞く。それ以外のことをしない。なら敵じゃない」
ネクロゼリア、ミアーリナ。そして体を丸めて苦しそうに息を吐き続けるライライラという順番で、何度も何度も首を回します。そしてビタリと止まり――。
「お姉ちゃんはさ、好き? 私のこと」
ライライラはハッハッハッハッと息を吐き続けるだけ。自分の意志で、空気を吸い込めなくなってしまっているようです。
「お姉ちゃん、なんで話を聞いてくれないの? 私がお姉ちゃんの敵なの? そうなの?」
白椿はぐにゃりと肩を落とすと、トボトボと歩き離れていってしまいました。そのままトボトボ、トボトボ。その姿が見えなくなるまで、ネクロゼリアは、動くことも、目をそらすこともできませんでした。
【028】第十二冊一章 私ね、髪が長くなったの おわり
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