アクアリウムライライラ
第一部 アクアリウムの白
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【029】第十二冊二章 わたしね、髪が長くなったの

「ライライラ様!」

 ネクロゼリアが、ようやく駆け寄れた時も、ライライラはまだ息を吐き続けていました。

「ゆっくり、ゆっくりでいいですから」

 それからライライラの呼吸が整うまで、随分と時間がかかりました。手持ち無沙汰のミアーリナが数え始めた足元の石粒の数が、千を超えるほど。

 

 

 

 ライライラは落ち着いてから、ずっと黙ったままでした。虚ろな瞳でうなだれたまま。ネオンテトラが何度頭上を通過しようと、見上げることはありません。

「ライライラ様……」

 ネクロゼリアが何度呼びかけても、返事はなく。ミアーリナは気まずそうに、距離を取って座り込んでいます。

「ライライラ様、すみません!」

 パチン。ライライラの頬をネクロゼリアが優しく打ちます。

「私の目を見てください」
「あ……私…………」

 目があった瞬間、ドロドロと流れだした涙。ライライラは声を上ずらせながら、ネクロゼリアに話しはじめました。白椿がヒトガタであったこと。ヒトガタは自分のひとつおぼえであること。そして、白い病に感染したグッピーをヒトガタにしたこと。ひとつおぼえの話など、ネクロゼリアもわかっているとわかりながら、話し、話し続けることしかできないのです。

「ライライラ様……」

 ぐちゃぐちゃと同じ話を繰り返した後、嗚咽に負けてライライラの声は消えてゆきます。

「ライライラ様、それはあくまで推測でしかありません。白椿が勝手にした話……それにライライラ様がグッピーをヒトガタ化させたときに、白椿の姿はなかったんですよね?」
「うっ、ぐ……でっ……でもっ」
「ひとつおぼえには法則があります。回数をこなすことで成長しますが、最初はごくごくシンプルな能力です。私も実戦前に一人で繰り返すことで、練り上げました。私の能力は、相手がいなくても使えますから」
「うぐ……うう」
「そのおかげで、最初左腕一本であった強化を全身で使えるようになりました。つまり、能力開花のタイミングで、目に見えたヒトガタと目に見えなかったヒトガタが同時発生するということは考えられません。それにお話を聞く限り、ライライラ様の能力は相手に触れる、もしくは至近距離でないと効果がない可能性が高いです。それは私の推測ではありますが――――ライライラ、様」

 首をぶんぶんと横に振り涙を撒き散らすライライラの顔を、ネクロゼリアが両手でつかみます。

「私を見てください、ライライラ様。自分で言うのもなんですが、私は魔導士としてそれなりの教育を受けています。偉大な魔導士であるあなたのお師匠様の一番弟子です。軍人なんです。戦場で法則を見誤るのは、かなり危険ですから。だから……」
「じ、自分もその法則は聞いたっす……だから」

 ビクビクとした態度で、ミアーリナが話に割って入ります。

「ひひ……自分が今から……確認するっすよ。目に見えないくらい小さい者たちに聞いて、この世界に、そういうことが起きていたかどうか」
「ミアーリナ様、それはあなたの能力をこえています。そんな無理をされては」
「いいっす。たまにはがんばりたいっす。ライライラは自分の同級生っすから。それに心配いらないっすよ。ライライラが犯人だなんて、そんな答えが出るわけないじゃないっすか。だから安心して、調べればいいんすよ」

 ミアーリナは再び止められる前に、目を閉じて祈るように両手を合わせました。そして、ひたいに汗を浮かべて、必死に願います。

「目に見えぬ者たち……お願いっす、ライライラに真実を教えてあげてほしいっす」
「あ……」

 あたりに温かい光を放つ玉が、ふわりふわりと現れました。それはまるで、夜、家の窓からこぼれる光のようで、憔悴しきったライライラですら、目を向けてしまうほどの優しさをまとっています。

「ぁ…………」

 ライライラが再び声を出してしまうほど、それは優しく、とても可愛らしい現象でした。光の玉がポンポンとはじけると、中から透き通ったトンボのような四枚の羽を持つ妖精が現れたのです。その数は、三十ほど。妖精たちは光の粉を振りまきながら、あたりを飛び回っています。

「ふあああっ! 限界っす! これ以上やったら倒れちゃうっす!」
「…………」
「あれ? なんすかこれ……え? え? なんなんす? これが自分のひとつおぼえっすか?」
「進化したのですね」

 ミアーリナは驚いた顔で、あちこち飛び回る妖精たちを見ています。ずっと目を瞑っていたので妖精の発生に気がつけなかったようです。

「ほへー。い、いや、感動してる場合じゃないっす! 詳しく聞かないと! よ、妖精さん? 白椿は、ライライラのせい……じゃなくてひとつおぼえが影響してるっすか?」

 それを聞いた妖精が一人、なにもない空間に向かって甲高い声で話しかけます。それは、ライライラが今まで聞いたことのない言語でした。そして、他の妖精も伝染したかのように喋りだし、あっという間に耳を刺すような大合唱がはじまります。

「っ……」 

 ライライラが顔をしかめたのは、その声が頭の中に反響しチクチクとした痛みを感じたからです。

「うわっ。うわっ、なんっすか!」

 妖精たちが、ミアーリナの耳元に一斉に集まってきました。一人一人が手のひらくらいの大きさなので、ミアーリナの頭の周りは大騒ぎ。妖精たちが入れ代わり立ち代わり、キーキーキーキー、なにかをひっかくような声を響かせます。

「離れて! 離れてっす!」

 しばらく騒ぐと静かになり、またあちこちへと浮遊し始めました。それからはただ、光の粉を振りまきながらあたりを旋回するだけ。

「はぁ、はぁ。とんだ目にあったっす……。ライライラ、安心してほしいっす。白椿をヒトガタにしたのはライライラじゃないっす。そう妖精が言ってたっす」
「じゃあ……誰が」
「うーん、うわぁ!」

 またミアーリナの周りに妖精が集まりさわぎたてはじめました。そしてしばらくすると静かになり、パタパタと羽ばたいて離れていきます。

「ジャージの女らしいっす。緑の」
「フォルナ」

 ライライラは拳を握り、地面を強く叩こうとしました。それを止めたのはネクロゼリアです。

「こんな硬い地面を叩いたら、手はずたずたですよ」
「許せない……許せない!」
「はい。フォルナを探しましょう」
「う、あああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 叫ぶライライラの頭上を、ネオンテトラたちが変わらぬ美しさで泳いでいきました。

「はぁっ、はぁっ……。ネクロゼリア!」
「は、はい」

 ライライラのあまりの剣幕に、ネクロゼリアの背中に冷や汗が流れます。

「私の帰還条件を知ってる?」
「し、知りません」
「なら、今すぐ戻って師匠に聞いてきて」
「でもっ…………」
「いいから!」

 ネクロゼリアは言い返さず、しばらく考えました。

「私の帰還条件は、サイフォン式腕立て伏せ連続六万回です」
「え……」

 話の腰を折るように自らの帰還条件を明らかにしたネクロゼリアは、真剣な顔でライライラを見つめます。

「なんで腕立て伏せ。そう思われますよね。これは、身体強化の魔術なしでは実現できない回数です。体内魔力運用でカバーできないサイフォン式は一回一回がきついですからね」
「あ…………」

 ライライラは理解しました。ネクロゼリアの負ったリスクを。身体強化の魔法はこの世界では使えない。つまり、ネクロゼリアは身体強化のひとつおぼえを獲得しなければ帰還できなかったことになります。そうまでして、ライライラに会いに来たのだと。

「どうして」
「私は総魔力量は低いですし、魔力運用も下手ですから。帰還条件を厳しくすることでしか、この世界に入れなかった。でも安心してくださいライライラ様、あなたは私より優れた素質を持っている。きっと簡単にクリアできる帰還条件のはずですよ」
「…………ネクロゼリア」
「でもラッキーですよ私は。このひとつおぼえなら出入りしやすい。たとえ再訪して加算されても、このひとつおぼえを鍛えれば腕立て伏せなんて何回でもできちゃいますから。次は十万回、いえ、二十万回に設定して戻ってきますよ」

 再訪。加算。ちょっとわかりにくい言い回しをしようとしたネクロゼリアでしたが、あまりうまくいきませんでした。

「帰還条件、重くなるの?」
「ええ。回数を重ねるたびに。まぁここは高度な魔導空間ですから、安易に使えないようになっているんでしょうね」
「やっぱり……」
「いえ、状況が想定以上に悪いですから、伝えるついでに聞いてきます。この世界、外部から干渉も観測もできないですから。お師匠様はちょっとした修行のつもりだったと思いますが……アンラッキーでしたね」

 ライライラは、なにも言えなくなってしまいました。

 

 

 

【029】第十二冊二章 わたしね、髪が長くなったの  おわり
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