アクアリウムライライラ
第一部 アクアリウムの白
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【030】第十二冊三章 わたしね、かみが長くなったの

「でもライライラ様、今の考えは捨ててください。帰還して、なにか強力な武器を持ってここに戻ってこようなど。どうあがいても、戦闘訓練を受けていないあなたがどうこうできる相手ではありませんから。私が連れてくる部隊と交代で、元の世界に返ってください」

 もう何度涙を流したのか。ライライラは無力な自分が悔しくて悔しくて、仕方ありませんでした。

「ミアーリナ様、お願いがあります。妖精たち、目に見えないものたちの力を借りて、ライライラ様と安全な場所に身を隠してください。そして私が帰還したら、このイヤホンに連絡を入れますから……」
「改造スマホと交換っすね」
「そういうことです」

 ミアーリナの妖精は、ライライラたちと同じように、自由に壁をすり抜けて遊んでいました。通過する際の音はなく、でも小さな波紋を広げながら。

「でも、妖精さんが言うこと聞いてくれるっすかね」
「それを今から試してください。妖精さんに尋ねて」
「はいっす。妖精さん、いいっすか?」

 妖精は、ミアーリナの意思を完全に理解していることを伝えるために、飛び回った際に生まれる光の軌跡で「OK」という文字を描いてみせました。

「ははっ、すごいかしこいっす!」
「妖精化したことで、知能もあがったのでしょう。ではライライラ様、私は腕立て伏せをさせていただきます。さ、ここから離れて身を隠して。白椿が行った方向とは逆へ」

 ネクロゼリアは、そういって二の腕を叩き筋肉を見せます。わざとらしく、でも、軽いかんじで。

「う、うん! わかった! ネクロゼリア……ありがとう!」

 パン! と自らの両頬を強くたたきライライラは立ち上がり、ミアーリナと急いでその場を離れていきました。振り返りたい気持ちを抑えながら。少し先を進む妖精の後を追って。

 

 

 

 ネクロゼリアと別れてから、ずっと無言のまま歩いていた二人でしたが、壁を三つこえたあたりでミアーリナが思い出したように口を開きます。

「ライライラ、不安の発生論という魔導書を知ってるっすか?」
「知らない……けど」
「ひひっ、さすが魔導書いらずっす」
「なんだよ」

 唐突すぎる話にうまく返せなかったライライラはバツが悪そうに、通り過ぎるコリドラスに目を移しました。

「い、いや、その……不安の発生論には、不安は他人がいるからこそ発生すると書いてあるっす」
「そっか」

 コリドラスは岩陰に消えていきましたが、ミアーリナに視線は戻しません。代わりに現れた、細長い体の、馬のような顔をした魚を見つめます。

「しかも一度他人という存在を知ってしまうと、二度と不安の種は取り除けないって話っす。どれだけ、どれだけ他人を拒絶して、シャットアウトしても記憶に刻み込まれた他人が邪魔するっす」
「ん」

 意図的な上の空。ライライラには、ミアーリナの話を拾えるような余裕がなかったのです。

「それで……その、だから他人ってのはいいことばかりじゃないというか、そういう話なんすけど」
「なあ、ミアーリナ。もしかして元気づけようとしてくれてるのか? ならもう少し話題を選んでくれねぇと」

 ライライラはミアーリナの気遣いに、優しく笑いかけることで応えました。でもそれは、感謝の気持ちではなく「今はやめてくれ」という拒絶でもありました。

「帰ったら、もう少しちゃんと魔導書読んでみっかな」

 続いてそんな言葉が出たのは、拒絶に入ってしまった自分を認めたくなかったからです。

「それがいいっすよ。ライライラは賢いっすから、勉強したらもっとすごいっす!」
「ほ、褒めすぎだろ」

 ミアーリナの声が少し大きくなったので、思わず目を合わせてしまいました。ミアーリナの目は少し潤んでいて……。

「そんなことないっすよ。あ! 帰ったらいいものあげるっす! 魔導書メモ帳!」
「うーん……あれ、私も持ってるけど、テンション下がるからなぁ」
「でも、自分のはジムクラの限定版っすよ? それに、自分だけの魔導書が作れるなんて面白いっすよ。できたらまどちゃんのメモスレにアップすればいいっす」
「たしかに、そういう考えもあるな。魔導士ちゃんねるにはアップしねーけど」

 なんとなく進む話。ライライラはこのまま、ただ、ダラダラと話し続けたいと小さく願います。でも「ジムクラってなに?」と聞き返すほどの、ゆとりはありません。

「ライライラはエリートっすから、すごい魔導書作れそうっす。オクに出したらどうっすか? あ、フリマはだめっすよ? ライライラ、値付け下手そうっすから」
「いや、えっと……」

 ライライラはエリートという言葉を否定したかったのですが、話がどんどん進んでいくのでタイミングを逃してしまいました。

「でもいい値段つくと思うなぁ。魔導書いらずは伊達じゃないっすから。あ、あれっすか? ライライラは魔導士の家系だったりするんすか? それとも単発で捧げたほうっすか?」
「あー親いねぇんだよ私。っていうか、知らないんだよなそのへんの話。だから私、魔導名しか知らないんだよ」
「あ……」
「あっ、気にしないでくれよ? 私の応え方が悪かった。ちゃんと師匠とかネクロゼリアとかいたしさ。名前捧げは勝手に師匠がやってくれたらしいぞ、私が赤ちゃんのときに」

 気まずくなった空気を変えようと、ライライラはまた笑顔を作ります。

「そ、そういえば実は自分、もう帰還条件満たしたっすよ」
「そっか」

 話題選びが上手くできないミアーリナに、ライライラはまた笑顔を見せました。今の笑顔は今までと違い、ほんの少しだけ本音の笑顔です。

「……ああ、でもごめん。気を使わせて大事な話させちゃったな」
「いや、別に隠すことでもないっすから」
「そっか。でも秘密にすることも戦略って学校で習ったし。って、帰還条件は隠す必要なんてねぇか、帰るだけだもんな」
「そうっすよ! ああ、でもせっかくだから条件そのものは秘密にさせてもらうっす」

 ネクロゼリアが戻ってきたら、自分も元の世界に帰る。そう思うと、寂しさがこみ上げてきます。白兎と喧嘩別れしたまま、その後悔がずっと忘れられなそうで。

「ミアーリナ、ピンチになったら逃げてな。ネクロゼリアが戻ってくる前でも。条件満たしたんならいつでも帰れるんだろ?」
「え! ひどくないっすか! 甘く見すぎっすよ!」

 急にミアーリナが声を荒げたので、ライライラはびっくりし、そんなライライラを見たミアーリナもびっくりして謝罪をします。

「いや、今のもほんとに私が悪かった。ミアーリナのひとつおぼえに守られてるのに。ミアーリナってすげぇやつなんだな、私も見習わなきゃ」
「ひひっ、そんなことねっす。わぁ、ライライラあれ見てっす!」

 そこにいたのは今まで見たことがない魚でした。ペルーグラステトラのように透明。でも、よりはっきりとしたレントゲン写真のような骨格があり、体もずいぶんと長く見えます。その魚は何匹かで隊列を組むように、同じ場所でゆらゆらと体をゆすっていました。

「あれ、ナマズか? ヒゲがあるし」
「よく知ってるっすねライライラ。あれはトランスルーセントグラスキャットっす。ちなみにキャットってのはあの猫みたいなヒゲから連想されたらしいっすよ」
「へぇ。もしかしてナマズのことキャットフィッシュって呼んだりするのか?」
「ら、ライライラ……正解っす! さすが魔導書いらずっす! 熱帯魚図鑑いらずじゃないっすか!」

 その妙な褒め方にライライラは苦笑いでしたが、それは嫌な苦笑いではありませんでした。

「こうして、気持ちを話してみるのって、悪くないっすね」
「そうだな。私には気を使わなくていいから。私もあんまり気を使えないしさ」
「と……」
「友達だな」
「そうっす……ね」

 それから二人はしばらく無言で、トランスルーセントグラスキャットを眺めていました。でも、その時間はすぐに壊れてしまいます。

「う、うあああっ……ご、ごめんなさい……」

 魚を見ながら歩いていたせいでライライラが転び、膝で妖精を踏んでしまったのです。細くて繊細な、その足を。

「大丈夫っすよライライラ。ほら」
「え」

 足を潰された妖精はホワンと光り、また空中へと飛び立ちました。以前より小さくなってはいますがまったくの無傷の元通りの姿で。

「あ……」

 地面に残された足は光の粒を弾けさせながら、空中に溶けていくかのように消えていきます。

「う……うう…………」
「ああ、泣かないでくださいっすライライラ。妖精さんも、タイミング悪いところに飛び込んでごめんなさいって言ってるし、気にしなくていいっす」
「ごめんなさい……痛かった……痛かったよな」
「大丈夫っす。痛くないし、体が軽くなって嬉しいって言ってるっすよ」
「本当か?」
「ひひっ。妖精さんはすぐにちゃんと説明してくれるからすごく楽っす」

 三つ編みを指でいじりながら、ミアーリナは嬉しそうにそう答えました。そして、ライライラが気を取り直すまで、隣でいろいろな話を続けたのです。

 

 

【030】第十二冊三章 わたしね、かみが長くなったの  おわり
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