アクアリウムライライラ
第一部 アクアリウムの白
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【032】第十三冊二章 電撃リップ

「なによ、このチンピラみたいなデンキウナギは。こんなイメージじゃないわよ」

 そう言いながらフォルナも、デンキウナギのほうへ。

「ははっ、人の本能を勝手に決めつけるのはよくないぜ。俺が人間の考えがわかんなかったように、デンキウナギの考えてることなんてわかんねぇだろ?」
「正論ね。でもこうして歩み寄れるのは素敵なことだわ」

 二人の距離はあと半歩。その瞬間、フォルナとデンキウナギが互いの頬に拳をねじ込みました。

「ひゅー! 痛いなこれ。顔も手もいってぇや!」
「そうね、私もめちゃくちゃ痛いわ」
「なぁ、フォルナ。これってすげぇ便利だな。気持ちを伝えるのには最高の道具だ!」
「そうね。そう思うわ。あとそれ、拳っていうの。覚えとくといいわ」

 立ったまま、足を一切動かさず殴り合う二人。ミアーリナはそれをしばらく見つめた後、ライライラのほうを向きました。ちょうど同じタイミングでライライラもミアーリナの方を向いたので、目がぴったりと合います。

「なんなんすかあの人たち」
「いや、ぜんぜんわかんねぇ」

 ガシガシと聞こえる、骨と骨がぶつかる音。歯をむき出し爛々とした瞳で殴り合う二人を見ながら、ライライラとミアーリナは地べたに座り込みます。

「まじでなんなんすあの大人たち」
「ぜんぜんわかんねぇ」

 跳ねる血しぶき、揺れる膝。興奮した獣のような呼吸とともに、二人は互いを殴り続けます。避けることも、防ぐことも忘れてしまったかのように。

「電気使えよって話っす」
「うん、そうだよなまじで」
「なんかよくわかんないっすけど、バカバカしくなってきたっす」
「そうだな」

 パンパン。砂埃がついているかどうかはわかりませんでしたが、とりあえずお尻をはたいて二人は立ち上がります。その時です、バンという爆発音がして、紫色の光が弾けたのは。

「い、今の見たっすか! 雷が爆発したみたいっす!」
「み、見た!」

 焦げ臭さと、もくもくとあがる煙。それが晴れた後の状況は、二人の想像を上回るものでした。

「な、なななななんっすかあれ!」
「どどどど、どういうことだよ!」
「二人とも、ナイスリアクションよ」

 フォルナはデンキウナギから少し離れた位置におり、鼻の外側から左側の穴を押さえつけ、右の穴から中に溜まった血を飛ばします。

「くっそ……俺の負けかよ」
「あんだけでかい一発撃ったら、もう電池切れでしょう?」
「ああ、おまえの言うとおりだ」

 フォルナのジャージの右腕の部分がはためいていました。その袖の中になにも入っていないことを示すかのように。そして、袖の中にあるはずの右腕が、ガッチリとデンキウナギの右拳を掴んでいます。指の間に僅かに残っているのは手袋だったもの。黒く焦げて煙をあげる姿が「デンキウナギの電気」の強さを物語っていました。

「なんだあの腕!」
「金属の義手っす! しかもワイヤーが地面に! ああ、肩の中から射出されたんすね!」
「うーん、ライライラ十点。ミアーリナ八十点」

 ミアーリナのリアクションは事実でした。デンキウナギを掴んでいる右腕はフォルナの体から完全に離れており、肩に接続する部分からワイヤーが伸びて地面に突き刺さっています。つまり、フォルナは一瞬の間に、自らの右腕を肩から外しデンキウナギを固定したというわけです。

「つつつっつ、つまり電気はそのワイヤーを通って……いや、もう盛り上がるのはやめるっす」
「え、なんでよ。私の隠し玉なのに。まぁ、本来は相手を拘束するだけのものだったんだけど……電気の流れやすい素材で助かったわ」
「なんていうか、器用にジャージの袖からその腕がするりと抜けてくるのを想像したら、あんまりかっこよくなかったっす」
「大事なのは気づかれないことよ」

 フォルナはデンキウナギに近づくと、金属製の義手の関節部をいじります。

「かっけぇ!」
「ライライラ、ナイスリアクションよ」 

 ガチャンと音がすると掴んでいた手は離れ、ワイヤーも一気に収納されました。

「すごく高いのよこれ。私にしか反応しないスイッチとか搭載してるから」
「かっけぇのたっけぇ!」

 フォルナは義手を腿の間に挟むと、ジャージ、そして左手に残った手袋、ジャージの下に着ていたコンプレッションウェアのような体にフィットする魔導着を脱ぎ捨て、タンクトップ姿になりました。それから、なれた手付きで右腕をガチンと元通りにはめ込みます。白銀に反射する、精巧な義手。それは生身の左腕とまったく違いがないかのように動きます。

「綺麗だな……」

 義手の表面には、びっしりと複雑な文様が彫り込まれていました。そのほとんどがとても浅く彫られており、角度によって模様が見え隠れして魚の肌のようにも見えます。

「いや、でもコンプレッションウェアの下にタンクトップはしこみすぎだろ。よくあんなぴっちりした服の下に着れたな。それになんだよその変なイルカのキャラクターは」
「イルカじゃなくて、ジムナーちゃん。わざわざ通販で買ったのよ? っていうか、いきなり冷静になるのやめなさいよ。二人とも子どものくせに冷めるのがはやすぎだわ」

 黒いタンクトップの中央には白い円があり、その中ににんまりとした、イルカのような、顔の長い生き物の顔が描かれていました。

「いや、だってそのタンクトップとジャージじゃあ、夏の部屋着にしか見えねぇんだもん。っていうか、タンクトップには血の偽物染みてないんだな」

 上はタンクトップ、下はジャージ。たしかに、ライライラの言うとおりのビジュアルです。

「ああ、あの時の血糊ね。魔導着が優秀だから染みないわよ。それで、ライライラはこんなところでなにをしているのかしら?」
「いや、その」

 いろいろ聞きたかったはずなのに、言葉が出てきません。なぜか、以前のように――――なにごともなかったかのように、話してしまいそうになるのです。

「私が悪人なのは事実よ。協会に追われてる私は、魔導士じゃなくて、魔導師。嫌味を込めて魔導死と呼ばれることもあったわ」
「いや、なにが伝えたいか全然わかんねぇ」
「まぁ、ネクロゼリアの言うとおりってことよ」
「…………説明をさ、めんどくさがるなよ」

 魔導士協会から離反した者には、文字に書き起こす際だけでなく会話や意識の上でも、魔導「師」という字を使用すること。これは、ライライラのような立場の者には浸透していないことでもありました。

「あえて反逆者だとわからない呼び方をするのには複雑な事情があるのよ。言葉の響きは同じだし、そもそも魔導士も魔導師も別に……あら、本当にめんどくさいわねこの話。また今度にしましょう」
「けっきょくなんもわかんねぇんだけど」
「ああ、そうそう。あの時ネクロゼリアから逃げたのは、勝てる見込みがなかったからよ。魔法が使えない状態で、あのフィジカルには勝てないわ」

 ライライラの疑問を解決することもなく、フォルナは話を移します。そしてその話に、ライライラは心底驚いた顔を見せました。

「……それだけ?」
「いや、死活問題よ。邪教討伐隊は、私の完全な敵だから。殺されるか、半殺しで連行されるかどっちかよ」

 フォルナの口から次々と語られる「自分は悪人である」という事実――。

「なぁ、フォルナ」

 そこまで言いかけたライライラは、ミアーリナの方をちらりと見ます。ミアーリナは覚悟したような顔で、コクンとうなずきます。

「白椿を強化したのは、おまえか?」
「…………」

 しばしの沈黙の後、フォルナは笑い出します。

「はっきり言えよ!」
「ああ、ごめんなさいね。私よ、と言ったらどうするつもり?」
「……悪い冗談はよせよ」
「質問に答えなさい、ライライラ」
「カメラどこにやったんだよ」

 あんなにも大切にしていたカメラは、どこにも見当たりません。フォルナがここに現れたときにはすでに持っていなかったのです。

「そうやって、本当に言いたいことから逃げるの、悪い癖よ」
「だったら、なんだってんだよ!」

 ライライラの咆哮に、フォルナ以外の二人は冷や汗をかきました。でもフォルナだけは、いつか見せたように優しくほほえみ、ライライラを見つめていたのです。

 

 

 

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