アクアリウムライライラ

公開中の話一覧

【035】栞の一 チョコレートショコラ

 マリーとミアーリナは、ライライラたちと別れた水槽からさらに七つの水槽を経由した場所にいました。

「少し休むか。疲れただろう」
「はいっす」
「ほら、そっち座れ」

 無数の黒い土の玉でできた地面に転がる、腰掛けるのにちょうどよい太さの二本の枯れ木。二人は、向かい合うように座ります。マリーの後ろには、大きな枯れ葉。そのまま布団にして眠れそうな、そんなサイズです。

「なぁ、ミアーリナ。おまえ、これでよかったのか?」
「え?」

 唐突な質問に、ミアーリナは思わず視線をマリーに向けてしまいました。マリーの群青色と黄金の入り混じった瞳は、星の瞬く夜空のように美しく、ミアーリナはドギマギしながら、目をそらし、もう一度その瞳に目を奪われ、またそらします。

「意外か? 私がこんな質問をするのは」
「えっと……マリーさんは」
「ああ、マリーでいい」

 落ち着いたトーン、少しハスキーな響きが心地よささえ感じさせます。

「私はこう見えて、意外とまともな思考を軸にしている。社会経験が長いからな」
「あ」
「そう。私は後発型。大人になってから魔力増加がおきたんだ」

 その話をなぜ自分にするのか。意図が読めないミアーリナは緊張していました。

「最初は精神に異常をきたしたかと思った。会社から帰って、ずっと目薬さしてんだ。ぬいぐるみにな。ぬいぐるみの白い部分に目薬の赤色がついちまって、なんでこんなことしちゃったんだって後悔するんだが、またやっちまう」
「それは……つらそうっすね」
「まぁ、その時はつらいとすら思えなかったけどな。今思えば、あれは、無意識に自分がおかしくなったと演出することで心のバランスをとっていたのかもしれねぇ」
「ご、ごめんなさいっす。わかったような口をきいて。あのっ、自分、そういう意味で言ったんじゃ」
「わかってるよ」

 マリーはぼんやりした顔で、空を見上げます。彼女の頭上にはチョコレート色の体の上に、その色が抜けたかのようなラインが三本ほど、不均等な間隔で入った魚が泳いでいました。動いたり停止したり。顔のすぐ横にあるヒレをパタパタとさせて。ちゅんと尖った口が特徴的、纏っている雰囲気はどこか静寂に似て――――。

「チョコレートグーラミィっすね」
「ああ。おまえも飼ってたな」
「はいっす……あれ? も?」
「私もこいつを飼ってたんだよ。水槽の水は――」
「ブラックウォーターっすね」

 と、ミアーリナが言い、マリーがうなずきます。

「でもまさか、同じ魚が好きだったとはな」
「そうっすね……今、同じところに預けてあるんすよね」
「ああ。グーラミィの繁殖もやっているやつに預けたから心配はいらねぇ。帰還すればまた会えるさ。それで、おまえは本当に私の隊に入るんだな?」

 ミアーリナはしばらく固まってから、マリーの顔を見ないままうなずきました。

「わかった。私の権限で、お前の入隊を認めよう。よかったよ、無理やり入隊させる流れにならなくて」
「あ……ありがとうっす」
「それはどっちのありがとうだ? 私が気を使ったからか、それとも」
「入隊っす」
「へぇ」

 ミアーリナの返答が、少しだけ強かったのでマリーはニヤリと笑います。

「いい話をしてやろう。私がいじめにあった話だ」
「え……マリーさんが?」
「さんはいらねぇよ」

 いつの間にか、チョコレートグーラミィはどこかへ行ってしまっていました。

「ど、どんないじめっすか?」
「まぁ、内容なんて聞かなくていいだろう。職場でいじめにあっていたという事実さえあれば。陰湿だぞ? 大人は賢いしルールに縛られてもいるからな」
「子どもだって……」
「ああ、そうだな。子どもにもルールがある」

 ミアーリナはひひひとほほえみます。

「それで……いじめられっぱなしだったんすか?」
「そう思うか?」
「あ! 復讐したんすね? 魔力が増加したから!」

 期待に満ち溢れたミアーリナの前で、マリーが首を横に振ります。

「いや、なにもしなかったよ」
「え」
「たしかに私は強者となったが、なった瞬間は力を得ただけの弱者だ。復讐する気になんて……いや、正確にはそんなことを考える余裕がなかった。増加する魔力につられて、気もおかしくなっていってたしな」
「きつい……すか? 急な増加は」
「なかなか気を使えるじゃないかミアーリナ」

 マリーが静かに立ち上がり背を向けたのは、過去を振り返るためか、それとも再び現れたチョコレートグーラミィをよく見るためか。

「私の場合は魔力暴走に近かった。今でも増減が激しいが、当時はゼロに近いところからの急上昇、それから降下上昇の連続だ」
「体の中が変になりそうっすね」
「そう。だから協会の奴らも、いろいろ私に施した。特に薬が最悪でね」
「副作用とかっすか?」

 いいや、違うと言いながらマリーはまた座ります。

「錠剤が六種類あったんだが、何日分もまとめて渡しやがるんだよ。そのせいでわかんなくなるんだ」
「な、なにがっす?」
「口に入れた後、あ? 今口にいれたのどの薬だっけ? ってな。大きさがそっくりなやつが四つもありやがる」
「間違って同じ薬飲んだらだめっすもんね」

 いつの間にか、ミアーリナはマリーのほうを見たまま会話を続けることができるようになっていました。

「そう。でも薬の殻を数えようと思ったって、頭イカれてるし早くしねぇと溶けちまうしでどうしようもねぇんだよ」
「早く飲み込まないと」
「そう、焦るんだ。で、焦った私にできることは、鏡に向かってあっかんべーをして舌の上の錠剤の色と形を確かめること」
「…………」
「その姿がよ、あんまりにもあれでよ。まあ、あれってのもなんだけどなぁ」

 ミアーリナはそんなことないと首を振ります。

「しかも、落ち着きはじめた頃には軍入りを強制される。もうそうなっちまったら、立場的にも復讐なんてできねぇだろ? 公僕が民衆に手を出すわけにはいかねぇ。最悪だったよ、毎日毎日きつい訓練ばかりで。まるでいじめだ」
「で、でも今隊長っす」
「そう。そしておまえも隊員だ。これからおまえは、その立場を振りかざして生きる。だが勘違いしちゃいけねぇ、ただの同級生なんかにそれを向けるのはだめだ。見せつけてもだめ、ただ、粛々と任務を進めるために振りかざす。それがあるべき姿だ」

 ミアーリナの脳裏に浮かんだのは、ライライラ。その顔は笑っているのか、泣いているのか。

「おまえはあのクソガキ、ライライラが嫌いか?」
「き……嫌いとかじゃないっす」
「いじめられたのか?」
「ライライラは……そんなことしなかったっす…………喋りかけてもくれたし」
「じゃあ、なぜあんなこと言った」
「それは……」

 グッと無意識のうちに奥歯が噛み合わされ、顎に嫌な感触が伝わります。

「みじめ……なんす。ライライラが……普通に接してくるから。だから自分は」
「あいつさえいなければ弱者でいられるのに。そういうことだろう。面倒だよなぁ、そういう関係のやつがいると、自由な不満を振りかざせない。そのせいで、解決が遅れることすらもある」
「…………」
「知ってるか? 昔、チョコレートグーラミィは飼うのが難しい魚と言われていたんだ」

 チョコレートグーラミィは、会話に自分の名が出てきたことなどおかまいなしに、自由に動いたり、止まったりを繰り返します。ヒレをパタパタとさせながら。

「でも今は輸送技術がよくなったとかで、飼いやすくなった」
「…………」
「それが進歩だ。でも忘れるなミアーリナ。飼いやすい時代も、飼いにくい時代も、チョコレートグーラミィはチョコレートグーラミィ。本質は同じなんだよ」

 少し、声が大きくなったマリーからまた目をそらします。

「あの子はなにも悪くないけど、みじめになるから腹が立つ。そんな私が、力を手に入れました」
「うあ」

 がしっと片手で顔をつかみ無理やり自分を見せるマリーに、ミアーリナの唇が歪みます。

「それでいい。それでいいぞミアーリナ。おまえがそうなのはおまえのせいじゃない。正確にはおまえのせいではあるが、全ておまえのせいというわけでもない。そしてそれ以前にどうしようもない、どうしようもねぇんだよミアーリナ」
「う……う」
「劣等感に取り憑かれた人間は、なんでも劣等感につなげてしまう。他人より金を持っていようが、優秀な頭脳を持っていようがその全てが劣等感を産む。その原因は自分にあるが、他人にもある。書いてあっただろう? おまえに貸してやったあの本に」

 あの本とは、「不安の発生論」という名の魔導書のこと。

「おまえだけに真実を教えてやる」

 ざわり、空気が色づき動いたかのような気配がありました。

「さっきの話は嘘だ。どの話? ああ、いじめの話だよ」
「…………」
「いじめられたのは本当だ。本当に良識ある大人なのか問いただしたくなるくらいひどいやつをな。だから私はきっちり復讐したんだよ。あいつらより、力も、立場も上になったとき。きっちりと、きっちりと、きっちりとな」
「え……」
「いい目の輝きだ。圧迫された弱者が溜め込んだ、鬱屈した輝きだ。それでこそ私の部隊にふさわしい。ふさわしいぞミアーリナ」
「は……はいっす……」

 顔を掴んでいた手を離し、両腕を広げマリーは話を続けます。急に、直情的に。

「さあ、ぐちゃぐちゃにするぞミアーリナ! 私達の標的は、あのクソフォルナだ! 手強いぞ、あいつは私達が憎んでやまない、ずっとできてきたやつだからなぁ!」
「は……はいっす!」
「しかもその任務を自由にこなせる。この空間は最高だなぁ! 協会の干渉が少なくてよぉ!」
「はいっす!」

 どんどんとボルテージのあがっていくマリーに続くように、ミアーリナも立ち上がります。

「ついでにやっちまえよミアーリナ。あのライライラとかいうガキを」

 そのミアーリナとは逆を行くように、マリーの声は落ち着きを見せました。

「は…………」
「いいんだよ。あいつはただの魔導士、こっちは任務を承った邪教討伐隊。ガキ一人ぐらい、構わねぇだろ。別に殺すわけじゃねぇんだ。見せつけてやれよ、おまえのほうが上にいるんだって。どうせその後は軍隊生活、学校とはおさらばなんだからよ」
「は、はいっす!」

 そんな二人を尻目に、チョコレートグーラミィは離れていってしまいました。

「ああ、そうだミアーリナ。一個だけルールを決めよう」
「な、なんすか?」
「魚たちには危害を加えるな。できるだけ巻き込まなくて済む場所を選んでやつらに仕掛ける。私達の本質はこのありさまだが、チョコレートグーラミィの本質はそんなありさまではないからな。いいか、約束だぞ」
「は、はいっす!」
「いいぞ、それでいい」

 マリーの声は、今までで一番優しいトーンでした。

「そうと決まれば、おまえのひとつおぼえを強化するぞ。安心しろ、その能力はライライラよりも遥かに使える。おまえは誰かの下位互換じゃない」
「あ、ありがとうございます」

 ミアーリナは曲がっていた背筋を伸ばし、マリーに感謝をしたのです。

「それにしても……おまえの三つ編み相当きつく縛ってるな。こんなにきつく縛って、頭痛くならねぇのか? 私も髪はがつっとつめちまうのが好きだから、時々痛くなるんだよなぁ」

 ミアーリナの頭から垂れる二本の三つ編みをつまみ上げたマリーは、本当に心配そうです。

「自分もちょっと痛くなる時あるんすけど、これ大事なんすよ」
「願掛けでもしてるのか?」
「違うっす。こう、ちょっと変な髪型してるとそっちが印象に残るじゃないっすか」

 ミアーリナは、ひひっと笑いながら答えます。

「顔の印象を覚えられたくねぇのか」
「顔ばっか見られるとムカつくんすよ。だからメガネも、あんまり似合わないフレームを選んでるっす」
「はっ! おもしれぇなおまえは。私が育てなくても、立派な軍人になりそうだ」

 嬉しそうな、残念そうな、複雑な表情を見せたミアーリナの三つ編みを放るように離します。

「安心しろ、ちゃんと私が責任持って育ててやるよ」
「はいっす!」

 ふわりと影が落ちたのは、再びチョコレートグーラミィが現れたため。今度は一匹ではなく、二匹で。

 

【035】栞の一 チョコレートショコラ  おわり
次の話を読む
公開中の話一覧

FavoriteLoading栞をはさむ

※栞を挟んだページはサイト右側(PC)もしくは下部(Mobile)に一覧で表示されます。

感想ツイートで応援お願いいたします!
▼▼▼▼▼▼