アクアリウムライライラ

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【037】栞の三 AQUABILLY

 カランと鳴るのは来客を知らせる音。水槽がずらり並ぶ湿度の高い熱帯魚店の主は、なにも魚が泳いでいない水槽の壁面についた茶色いコケを三角定規のような器具で掃除する手を止めます。店の隅に据えつけられた水道でザザッと手を洗い流し、ファイヤーパターンのエプロンの下に着たスカイブルーのボーリングシャツの胸ポケットから取り出したライムグリーンのうすっぺらいクシで整えたのは、黒光りするリーゼント。それからまた店主は、手についたポマードを落とすために、念入りに手を洗い流しました。

「ヘイベイべいらっしゃいロケンロー!」
「髪を整えないと挨拶できないんですか?」

 テンションの高い挨拶に冷静に返した客は、タイトなジーンズとBLUE&WHITEと書かれたTシャツを着た体格のよい女性、ネクロゼリアです。Tシャツの袖はパンパンで、見事な筋肉で武装された腕をさらに強調してみせました。

「ロケンロー挨拶だぜ!」
「これ、ザ・阿修羅あしゅらズでしたっけ」

 店内で流れる軽快なBGM。ネクロゼリアはその疾走感のあるリズムに合わせ指でトントントトトンと、はちきれそうな腿を叩きます。

「ザじゃなくて、ジ・阿修羅ズだ。そこんとこ頼むぜベイベー?」

 スタタンと小気味良いドラムで終わった曲に続き、流れ始めた曲は少しメロウ。

「あれ、この曲はじめて聞きますね」
「新曲だぜ。タイトルは、うつろいでハニー。ベーシストが変わってからの一発目なんだが、最高だぜ」
「メンバーチェンジしたんですか」
「ベースがね。別ジャンルのバンドと掛け持ちらしいんだが、これがまたいいビート刻むんだよ。名前はポーリー。さっきのナンバーも録り直し、ポーリーバージョンなんだぜ? ノリが違うだろ?」
「うーん、私にはわからなかったですね。前聞いたのと同じに聞こえました」

 店主はオウ、シットと残念そうな声をあげて、フェイクレザーパンツのヒップポケットにひっかけてあったキャッツアイサングラスをかけました。 

「この前、店に来たちっちゃいベイベーは気がついたんだけどなぁ」
「ちっちゃいベイベ?」
「熱いロックな店主の熱い熱帯魚店アクアビリーは子どもにも愛されてるんだぜ!」

 そうですかと雑に答えたネクロゼリアの視線は、水槽の中へ。そこには逆さになって泳ぐ、四センチほどの茶色いナマズが数匹。

「世代を超えて愛されるわけですね。すごいと思いますよ、すごいですね」

 と、さらに雑に。

「赤い髪のイカスガールだったなぁ。小遣い握りしめちゃってさ。魔導士だって言ってたけど、あの髪は変質したんじゃなくて染めてるんだろうなぁ。キッズなのにツッパってるぜ!」
「えらくその子のこと気に入ってますね」

 水槽を見たままネクロゼリアが答えます。

「ああ。ロックを感じたからな。これがはじめての飼育だって、家の人が詳しいからいろいろ教えてもらうんだって嬉しそうに語ってたよ。ここはそんなイカスガールが選ぶ店、アクアビリーだぜ!」
「そういう子に限って、家では素直になれなかったりするかもしれませんね」
「大丈夫だと思うぜ、あの子の話ぶりだと、ちゃんと導いてくれるアクアリストが身近にいるはずだ」
「あ、これマスタセンベルスじゃないですか」

 ネクロゼリアが次に見た水槽の中では、鼻がぴゅんと伸びたような顔をした細長い体の魚が、塩ビパイプの中からにゅうっと出てきていました。

「ちゃんとその子は言付けされてたんだ。チカクショクバ、コガタコンエイ、ロクジューヨンゴー、ヨユウアリって。その意味はよく理解できていなかったみたいだけどな、ちゃんと家の人にそう言われたと俺に伝えてくれたのさ。な、いい子だろ?」
「さすが名店、アクアビリーの店主ですね」

 店主はイエスと言って手をたたきます。

「それにしてもネクロゼリアベイベー、うちに来たの久しぶりだよな。三週間ぶりか?」
「新しいシノドンティスが入ってないかなと思いまして」
「シノベイベティスは前来てもらった時と同じラインナップだぜ。なかなか売れないから仕入れづらくてな」

 ポコポコジャポジャポ。あちこちから水や水を通る空気の音が聞こえる店内。ネクロゼリアは、三段になっている水槽の一番上の段の水槽を一つずつ見て……三つほど見たら少し戻って二段目の水槽を同じように三つ見て。そしてまた少し戻って最下段の水槽を同じように……。

「フェザーフィンがいたらほしかったんですけどね」
「今はいねぇなぁ。でもたしか、三匹くらい飼ってたはずだろ?」
「好きなんですよ。名前もいいですし」
「それならフェザーテールはどうだい。魚じゃなくてムカデだけど、足が多くてロックだぜ!」

 店主が指差したのは、店の奥にある土の入ったケースやカップの並んだ棚です。

「私は魚専門なので」
「アフリカ産だぜ。好きだろう?」
「そう言われるとほしくなりますね」
「アクアから蟲。アクアから爬虫類。あるある上陸パターンだぜ!」
「商売上手ですね。商売といえば……まだ、私の職業を話してませんでしたよね」
「ネクロゼリアベイベーの仕事はシノドンティスラヴァー。違うかい?」

 店主の言葉にネクロゼリアは水槽を見るのをやめて、嬉しそうにほほえみました。

「そうあれれば嬉しいのですが、私の職業は邪教討伐隊なんですね」

 その瞬間、店主は背を向けて店の外へと逃げ出そうとしました。でも、そうできなかったのは、ネクロゼリアの大きな手がボーリングシャツの襟を掴んだからです。

「店のことは心配しないでください。あなたが戻れるようになるまで、アルバイトを入れておきますから。ちゃんと腕のいい人を」
「お……俺がなにしたっていうんだ?」
「バックヤードに所持していますよね。箱庭に接続した水槽を」

 一歩も動けないのは、掴まれた瞬間に伝わったネクロゼリアの腕力……それが、恐ろしいほどの固さを感じさせたためです。ネクロゼリアはすでに襟から手を離していたのですが、その感覚は強く残り続けていました。

「どうして……わかった」
「常連ですから。だからこそ残念です、逃げるときですら魚のことを優先したあなたに、こんな真似をしないといけないだなんて」

 たしかに、店主は逃げる瞬間にも気を使っていました。通路に置かれた、お店に届いたばかりの魚が入ったバケツを倒さないように。バケツには、水槽から細いチューブが降ろされており、ポトン、ポトン、ポトン、ポトン、ポトンと一定の間隔で水滴が落下しています。

「水合わせ中ですか。バケツの中のコリドラスって、見分けるの難しいですよね。なんですかこれ?」
「ニューインコリカーナ……」
「売っていいやつですか?」
「いや、これは客注だから……」
「わかりました。後でその人の名前を教えて下さいね」

 音楽が止まり、店内にはアクアリウムの音だけ。

「俺は帰ってこれるのか……?」
「そうですね。きちんと協力していただけるのであれば大丈夫ですよ、多分」
「話す……全て話すから…………うちの魚たちを頼む」
「はい。誓って必ず」

 レコードの上を走り終えた針はアームに持ち上げられ、静かにスタート地点へと戻っていきました。

 

 

 

 【037】栞の三 AQUABILLY  おわり
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